読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

人類は如何に神々として滅びるか

『自己が無視されることを無視するという彼等の英雄主義』

「日本死ね」が流行語大賞に選ばれる数年前に『日本忌』というタイトルの小説を書き上げていたこの先見性を見よ。

 という自画自賛ですよ。(´・∀・`)

 

 もうすでに古い話になってしまった感がありますが、今年は「日本死ね」が流行語に選ばれましたね。どちらかというと、主には右のほうから強く批判の声があがって、擁護の声は左のほうから挙がっていたようですが、別に今さらそのことをどうこう言おうというのではない! 私は、もう数年前に「日本の死」について書いていたのだ。

日本忌<上下合巻版>

日本忌<上下合巻版>

日本忌<上下合巻版>

 

 いやあ、遅すぎるでしょ、世間。まじ。まじ世間遅すぎるでしょ。なに今頃ドヤ顔して日本に死の宣告しちゃってるんですか? もうすでに、何年も前に、日本のことは、この私が看取ってるんですよ。ほんとに、もう、まったく。

 とかなんとか言ってると、右とか保守とか愛国者とか国士とかいう人たちからお叱りをうけ、その反対の人々がうれ○ョンして迎え入れてくれそうになるかもしれないが……。

     はいはい。みなさん。落ち着いて。

 

 この小説のアイデアがある程度形になってまとまったのは、あの民主党政権誕生の前夜(といっても比喩的に言ってるのであって、その前の数ヶ月間)のことだった。正直、あの頃の「政治的状況」ってやつに相当失望というか(勝手に)絶望していて、民主党政権ができれば、日本は終わり、終わりのはじまりではなくて、これが終わりの終わり、なんだと本気で思っていた。だから、書き上げたのはまた後になるのだけれど、その頃の気分が反映されていることは間違いない。

(もっとも、別に現実の政治状況がアイデアの大本ではなくて、もとから持っている厭世主義とか、子供の頃から幻覚というか啓示というか脳内に閃く「死の舞踏」的イメージ、すべてを無に帰してしまうようなアイロニーなどが先行していたのは確かだけれども)

 だから、その当時は、「ああ小説が間に合わなかった。現実に追い越されてしまった」とか思っていたんだ。実際には、今も日本は健在で、元気にやっているようですけどね。

 

 それから、世間遅いといえばまだあるんだ。今年、海の向こうではトランプというおじさんが大統領選で勝ったそうで、彼はマスコミを敵にまわし、「政治的正しさ」に喧嘩をふっかけて勝利した。かたや、ヨーロッパでは、主に移民問題に関するEUの失策、挫折から、「極右」政党が台頭しているという。(だったら日本は「極右国家」だね、ということはおくとして)問題に思うのは、そういう一連の政治的状況に対して、マスコミが、『メディアを批判し、敵視することにより支持を集めるポピュリズム』とか言ってることだ。いやいや、君たちは「マスコミ」でしょ、「マスメディア」って名前でしょ。マスって単語を自分の名前にもっているのに、自分たちを批判するものを「ポピュリスト(大衆迎合主義者)」と呼んで、そこに矛盾を感じないわけ? あー、エリートのつもりなのか。つもりだったのか。いやいや、君たちがエリートだったとしても、せいぜい「似非エリート」ってところだよ。偽物に過ぎん。

 なんか話がどこいくか怪しくなったけど、これも数年前に書いた小説のことを言いたかったんだ。 

アンティキティラの星の人々<上下合巻版>―ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・レトロフューチャー―

 これも前と同じく群像劇だから、色々な要素があるけど、一口に言えば、ロストフューチャー、レトロフューチャーものだ。けれども、ユートピアとして書くのではなくて、いや、もっと正確に言えば、ユートピアであると同時に悪夢の世界として書こうとしている。なんとなれば、それらは実現しなかった歪な夢なのであるから、たとえ美しい夢であっても、無理矢理に実現させてしまえば、悪夢にしかならないからだ。

 本作における、最も美しい夢は、火星への移住であって、その新しい星マーズ(火星)では、国境なく、人種なく、したがって偏見も差別もない、多様性にあふれた社会が形成されるだろう、ということになっている。けれども、作中、その美しい夢は挫折を示唆して(示唆するだけで挫折を直接に書いていない)終わる。ほぼつかない(読まれてないからね)amazonレビューで直接書けよ、とか言われてるけど、そんなの書き手の好みと資質だから、期待する部分を間違えてるんだ。

 つまり、前置き長かったですけれど、ここでも、「移民による美しく多様な社会」という夢の挫折を、いちはやく私は書いてしまっているのだ。

 いやあ、アメリカ遅いでしょ。ヨーロッパ遅すぎるでしょ。まじ。まじ世界。世界まじ遅れてるでしょ。もうすでに、何年も前に、その夢は悪夢だと、この私が夢解きをすませているんですよ!

 

 というわけで、はやすぎる才能をもった葦原葭彦君の小説を、周回遅れのみなさんは今からでもいいので、読んで下さいね。

 いやいや、待て待て、このまま終わってしまうと、アイロニーということを解す資質をもたないエリート的な人々が、ストレートに意味をとってしまうかもしれないと不安なので、言わずもがなの弁明をしておこう。

 何が言いたいかっていうと、よくあるでしょ。小説でも漫画でも映画でも「今思えば、まるで未来をあらかじめ見てきたような先見性に満ちた内容だ!」とか「すぐれた才能には、未来を予見しうる力が宿っている!」とかね。ああいうやつの、9割以上は、単なるこじつけだから。だって、それを今証明したところだから、少しは信じてくれるでしょ。

 逆に。逆にですよ。たとえば、現代の日本社会を題材にした、社会派小説みたいなやつで、小説の刊行後に、まったく一つも現実に起きる出来事とリンクしないような小説が書けるとしたら、逆に、そっちのほうがすごい才能だから。逆に。

 つまり、要は物は言い様、考え様ってことで、印象操作をめざすなら持ち上げるのも、けなすのも簡単だってことだ。それこそ自称エリート様がお得意の手法でもって。

 

 しかし、そう考えれば私の小説も、たとえば主人公的な登場人物に感情移入してハラハラドキドキしたいという読者にはくそ面白くない駄作であっても、一度その近づきすぎた顔を離して、全体を俯瞰するように小説全体を見回してみてもらえば、書かれ語られる世界が面白く読め……は、しないかやっぱなあ(´・∀・`)はぁ。