人類は如何に神々として滅びるか

『自己が無視されることを無視するという彼等の英雄主義』

「饒舌な件(くだん)」(一) 鳥獣戯文シリーズ

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 風切り羽根が飛んだ。抜けおちた一本の翠緑色した羽根は、ゆるやかな螺旋をえがいて水面にひたろうとする寸前、きまぐれな春風によってすくいあげられ、ふらふらと翻弄されながら川下のほうへとはこばれていった。
 人面の怪鳥(けちよう)はそれを最後まで追おうとはしなかった。すぐにうつむいて薄桃色した唇よりかすかな息をもらすと、また水浴びをはじめる。長い黒髪の頭をさげ、傾けた体を水に浸す。羽で川面をたたくようにして水をかける。頭をあげ、羽を素早く震わせて水切りする。そのたび、はなはだしい量のしぶきが撒き散らされる。
 怪鳥が水浴びをするこの川は、名をあわい川という。あわい川の上流、清水の湧き出るこのあたり一帯は、人の身がかつて辿り着いたことのない秘境だった。どこまでも澄み切った水をとおして見渡せる川底はもちろん、あたり一面を、青ざめて光る黒い丸石におおわれている。
 背後から、のそりのそりと、代赭色した赤毛の獣がちかづいていた。河原の小石をゆっくりと四つの蹄で踏みしめ、牛の体がしのび寄る。ずいぶんと額がとびでた頭には角がない。落ちくぼんだ眼窩には眉のない細い目がつり上がっている。口の端をめくりあげて薄気味悪い笑まいを浮かべている。ぬっと伸ばした首を横向きにたおして覗きこむ。
「件(くだん)さん」
 怪鳥は背を見せたまま、たしなめるように問いかけた。
「はい。なんでしょう、怪鳥さん」
 件の声色は、その怪異な姿にくらべて気が抜けるほど軽やかで明るかった。
「おなごの水浴みを殿方がじいっと覗くものじゃありませんよ」
 怪鳥は冷ややかに感じられるほど澄んだ声で言う。ふたたび水面をたたいて、濡れた翼をおおげさに震う。しぶきが岸をこえて河原の石を濡らす。件の人面へもいくつもの水滴がふりかかった。にいっと笑った口元から、並びが悪く、ことごとく先のとがった隙間だらけの歯を露わにする。陶器でつくった首振り人形のように、たよりなく人の頭をゆらめかす。
「怪鳥さん、怪鳥さん。ぼくのうつくしい迦陵頻伽(かりようびんが)さん。今日はご機嫌ななめですか。気むずかし屋な、ぼくのかわいい陰摩羅鬼(おんもらき)さん」
 件は気の良い、陽気な牡(男?)であった。しかし、彼の人面は「畸形」という言葉を思わず連想してしまうほどに細工が悪く、整っていなかったので、始終にこにこと柔和な笑みをしているはずの表情は、いつも不気味でぞっとしなかった。
 怪鳥は知らぬ顔で岸にあがると、白珠のような歯をつかって肩にかかる髪を梳きはじめた。濡れて乱れた黒髪をやさしく噛んで、一条、一条、ていねに梳きつける。片足を交互にあげて、爪の先でくしけずる。
「ぼくはまた里におりていたんですよ。人間がぼくの姿を見て慌てふためく様子を観察するのは面白いですからね」
 件は言葉をくぎって思い人(獣?)の反応を待った。しかし、頭髪を整えおわった怪鳥は、こんどは翼の手入れに余念がない。よく伸び、よくまわる首をせわしなく動かして、胸の羽毛から尾羽まで丹念に羽づくろいをする。怪鳥の体高は十歳足らずの女児ほどしかない。鳥類としては大柄であっても、人の身とひきくらべるなら、ほっそりとして小鳥のように脆弱だった。成牛の胴体をもった件とはかなりの体格差がある。
 件は怪鳥の総身を影でおおうように首を突き出して、相変わらず気味の悪い笑顔を春の風にたゆたわせている。彼にはもう一時も沈黙が目の前に差し挟まれているのを耐えることが難しかった。
「夕暮れ時か、夜明け過ぎ、さみしい場所で待ち伏せて人間をおどろかせてやるんですよ。べつに真昼の明るい時でもいいんですけどね。それじゃあ雰囲気っていうのが出ないでしょう。やっぱり明るくっちゃあねえ。だからといって、真っ暗な夜中に出ていっても、あれ牛が歩いてらあ、なんて言われちゃって。ぼくだって気づいてもらえないと、つまらないですから。どうしても夕暮れ時か、夜明け過ぎ、薄暗くて、それでも顔が見てもらえる時じゃないと。
 まったく、人間のおどろいて、おびえている姿っていうのは傑作ですよ。顔がまっ青になって、悲鳴をあげて逃げ出すものがあれば、腰が抜けてしまってぶるぶる震えどおしなものがいる。たまには石を投げつけたり、殴りかかってくる勇敢なものもいますけれどね、そういう時はいそいで姿を消さなくっちゃ。
 あれ件がいる、なんて間抜けな声をだして気づいたことを知らせてくれる人間にあったら嬉しくって、ぼくはもぐもぐ口を動かして、何か話しかけようとする振りをしてやるんです。きっと不吉な予言をするに違いないと思っただろう彼らは、石を持ってようが木を持ってようが、大力自慢の大男でも、大抵は背中を見せて、一目散に駆けだしていきますからね」
 ほつれた羽根を気にして翼をこまかく震わせていた怪鳥は、件の話が一段落したことに気づくと、二拍も三拍も間をおいてから、ため息をおりまぜ呟いた。
「あなたは、そんなにも人間が好きなのねえ」
 ほとんど聞き取れないような小さな声を、件は一音たりとも逃さなかった。気のない返答であっても、愛する彼の胸内は、七色に彩られた幸福でいっぱいになる。
「だってぼくは人間のお爺さんとお婆さんに育てられましたからねえ。どうしたって懐かしいですよ。言いつけを守ってずっと小屋にいたなら、今でも二人にかわいがってもらえてるだろうになあ。
 でもぼくはまだ仔牛でしたでしょう。物もよく分からないし、好奇心も旺盛ですからね。もっとも、その点今でもかわりませんが。とにかく、小屋の中は暇ですから。お爺さんかお婆さんがやってきて、相手をしてくれる間はいいけれども、それだって近所の目を気にしてあんまり長い時間になると帰ってしまうんです。なんといっても一人牛小屋にいるのは退屈ですからね。側にいるのもただの牛だけなんですから。口が利けないんです。ぼくの母牛だって『モーモー』鳴くばかりでしょう。そりゃ親子ですし、ぼくだって半分牛ですから、母さんが何を言いたいのか、大体のところは分かりましたけど、人間と言葉で話すようにはいきませんものねえ。
 だから、ぼくはお爺さんとお婆さんが来てくれると、色々おしゃべりしたかったんですけれど、それもあんまり許してはくれないんです。二人は、近所に知られてはいけないと思っていたんですね。それから、ぼくが喋ってはいけないことを喋って、仔牛のうちに早死にしてしまうんではないかと思っていたんですね。だから、二人からは優しい言葉をかけてくれるけれども、ぼくが口を開くといい顔をしないんです。
 それでぼくは子供でしたけれども、なんとなしに、不平や不満が自分の中に積もっていたんでしょうね。ある日、そう小春日和のおだやかな冬の昼下がりでした。ぼくは、牛小屋の外の気持ちよさそうな日光をながめていて、それから、そう、近所の子供たちが鬼ごっこか何かしている遊び声が聞こえていました。ぼくはいてもたってもいられずに、ふらふら小屋の外へ歩き出して……」
 彼の話にあるように、件を産んだのは、老夫婦が飼っていた牝牛だった。生まれた仔牛は人間の頭をもっていたので、年寄り二人には件だとすぐに察しがついた。件は生まれて間なく人語を解する。羊水に濡れまだ足元もおぼつかない半人半獣は、開いたばかりの眼ではじめて見る人間をとらえると、殊勝にも「こんにちは、はじめまして」と言って、小さな頭をお辞儀させたのだった。
 老夫婦は年を取っているだけに、彼らのような農家に飼われている牛が、ごくごく稀にではあっても、人面をした「くだん」という化け物を産むと知っていた。また、その化け物が予言をする、しかも多くは忌まわしい流行病や旱魃といった禍事を言い当てて、すぐ死んでしまうということも聞き知っていた。
「潰して肉にしてしまうが皆のためじゃ」老爺はただでさえ数多くの皺が刻まれた顔へますます深い皺を増やすと、今では大小さまざまな黒い染みを顔に散らす昔色白の器量自慢だった古女房へそっと囁いた。そうとは知らない人好しの件は、「ここらは一体どの殿様のご領地になるんでしょう?」と首かしげてみたり、「お二人はご夫婦でいらっしゃいますか?」などと、気味悪そうに顔をしかめて自分を見ている人間へむかって、罪のない問いかけを繰り返したりしていた。
 夫婦は件を殺さなかった。そうするには夫はいくらか臆病に、また情け深くやさしい心根をしていたのだった。二人に子がなかったのも件にとっては幸いした。老夫婦は「次郎よ、次郎よ」といってわが子とかわらぬ慈悲をかけながら件を飼育した。太郎は昔、生まれて一年たたぬまえに病没した本当の息子の名前であった。だから件は「次郎」とよばれた。
 家にあげるのは近所の目を気にして早々に断念した。かわりに妻が、件の体にあわせた長丹前を手ずから仕立てて、冬の寒さから守ってやった。件は夫婦の心配をよそに、寝藁の上でよく眠った。生まれてすぐに人の言葉を話す賢しい「子供」だったとはいえ、首から下は尋常な牛と変わらないのだから、布団のない牛小屋の環境を苦にしないのも当然だった。
 件は人が口にするものを平気で食べた。母牛からしぼった乳を一月飲んだあとは、干し草のほかに、朝夕二回夫婦と同じ物をもらっていた。魚や玉子は嫌がったが、野菜の煮たものや、麦や粟は好んで食べた。なかでも大根の葉を入れた麦のおじやが一番の好物だった。
 母牛はわが子を疎ましく思っているようで、可愛がりはしなかった。人間にとって怪異である件の容姿は、牛から見ても同じように異様なものらしかった。老夫婦はその様子を見て「次郎」をことのほか不憫に思い、また自身は母牛の冷たい態度をさして気にするようでもなく二人に懐く姿に、いじらしさを募らせるのだった。
 食い物や寝床に不平を言わない反面、件は日中ひとりで閉めきった小屋にいるのを嫌がった。寂しくなって「おじいいいさああん、おばあああさああん」と馬がいななくような声で泣くのだった。夫婦は口酸っぱくして人間の言葉で鳴かないようにと言い聞かせた。妻は件の無聊をまぎらせるため、貸本屋の草双紙や洒落本を与えてみた。件は蹄を器用につかって巻を繰りながら、同じ書物を何度も熱心に読みふけった。近隣の店では江戸の貸本屋ほどの在庫は望むべくなく、あまり足繁く通って突然本の虫になったと訝られるのを妻がおそれたため、件の知識欲をじゅうぶんに充たすほどの書物は牛小屋には届かなかったのである。件は読書のほかに、人と話をするのがたいそう好きだった。夜が更けてから、もしくは早朝、隣や近所の目をしのんで親代わりの老爺老婆が会いに行くと、躍り上がってよろこび出迎え、「立て板に水」の例え通りに流暢な人語でなんのかんのと喋り続けた。
 しかし老夫婦は件の饒舌にいい顔をしなかった。家の前を通りかかった誰かに声を聞かれて、「次郎」の存在が発覚してしまうのを心配していた、というだけではない。二人は、「予言」が行われることを懼れていた。先のことは考えるな、只今今日と、過ぎ来し方についてだけ話をするようにと、一日に何度も言い含めてしつけした。「お前の身を案じてのことでもあるのだよ」と暗に彼の「死」を仄めかせたりもしたのだった。それはまるで、すでに予定されてある惨事を件の口から知るまいとするというよりも、件の予見に宿る言霊の力によって、新たに災厄が引き起こされると信じているかのような態度だった――
「あなたはそんなにも大好きな人間との関係を、驚かして怯えさせることでしか作れないのねえ」
 怪鳥はもう何度聞かされたか分からない、件の身の上話を打ち切らせようとして言葉を挟んだ。コロクルコロクルと喉をふるわせ、甲高い嘲笑をさえずった。ほっそりとして色白く、たおやかな乙女が持つような首の内部から発せされているとは信じがたい、軋んで耳に痛い高音が、水面をざわつかせとおく行き渡る。
 件は反発するどころか、へりくだった態度で応えた。
「シシッ、シ、シシッ、シ」
 剥き出した歯の隙間から息をもらす。奇妙な笑いで追従をしているのだった。けれども表情は悪辣なはかりごとをめぐらす凶漢のように禍々しかった。
 怪鳥は件の笑い顔を目にすると、一瞬間、本能的に身の危険さえ感じて、逆立った羽毛の根が太るような思いをした。もちろん薄気味悪い件の人面とはちがって、彼の脳天気な頭の内部には、毛一筋ほどもそのような思惑があるはずはない。怪鳥も今ではそれを十分に承知している。承知してはいるが、不意に件の醜怪な人相に出くわすと、考えるより先に反射的な恐怖が引き起こされるのだった。
 もはや自分に言い寄るのはこのようなものしかないのだと、情けない気持ちになった怪鳥は、汀から首を伸ばして容色の衰えたおのが人面を水面に映す。
 盛時には、人であれ獣であれ、雄の身に生まれたものはことごとく魅了しないでおかなかった「物言う花」は、幾百歳の年波にはさすがあらがえず、哀れにも萎れはじめてしまっていた。怪鳥は目元の小皺や艶を失っていく肌をうらめしそうに見下ろしている。あるときは人間の婢女の手を借りて、白粉を塗りはたいて紅をひき、髪を結わせたこともあったと懐かしく思い出す。その上、酔狂な公家の大尽は、特別に仕立てた長着の衣を何十、何百となく怪鳥にあてがってよろこんだ。公家は、下膨れに肥りきったもち肌の大きな顔と、並外れた太鼓腹を持っていた。が、その男もとうに亡い。
 怪鳥に惚れたために、とうとう野盗にまで身を持ち崩した武家の惣領がいた。罠にかけた怪鳥に心奪われ、山小屋を檻籠にしつらえて、囚われの身の彼女を自らが老い朽ちるまで丹念に愛し続けた猟師がいた。尋常の遊びに飽いた豪商は品のない男であった。猟色のはてに怪鳥に焦がれ、恋に病んで恋のために死んだ色狂いもあった。
 怪鳥に言い寄ったのは人ばかりではない。数多のあやかしが彼女の前に現れ、また過ぎ去っていった。求愛のいくつかには応え、多くを冷たく袖にしてしりぞけ、また怪鳥自身から激しく追い求めた恋もあった。けれども、昔、翠玉のようにまばゆく美しいとたたえられた羽根は今はもう、試みに件の褒め言葉を例に取るならば「あわい川の森の燃えるような緑」ほどにしか魅力的でなかった。昨夏の猛暑に疲れ、点々と枯れ木を散らす、怪鳥にとっては陰気この上ない山の緑ほどにしか――
「それからぼくは、姿をくらませて町まで行ってきたのですよ」
 件には、怪鳥の憂愁を静寂でみたしてやろうという考えは思い浮かばない。彼ができるのは、沈黙を破り、ものがなしい空白を言葉で埋めつくすことだけである。
「まあ危ない。人間に捕まりでもしたらどうするつもりです」
 怪鳥は姉のような態度でたしなめる。
「ぼくも牛小屋にいた頃のような子供ではありませんからね。うまく隠れていますし、いざとなったら姿をかき消して人間の目をあざむくくらい訳はありません」
「あら、あなたはまだほんの坊ちゃんよ」
 件は首を右に傾げ、左に傾げ、より一層口の端をめくり上げて声なく笑う。
「怪鳥さん知っていますか。人間の間では、人の頭を持った異形というのが大流行しているんですよ。けれど、あなたのように鳥の体を持っているものとは違うらしいんです」
 怪鳥は人面の半人半獣と聞いて、おもわず好奇のかがやきを瞳に宿らせた。
 件は首を縮め、顎をぐっと引き、そのせいでそびやかす格好になった肩を上下にこまかく揺らした。これは彼が喜んでいる時にする癖である。
 たとえ傍目には、深い猜疑にとらわれた人頭牛体の化け物が、か弱い怪鳥を厳しく睨みつけているようにしか見えなかったとしても、本当の件の感情は、恋人の注目を一身に集めている誇らしさに支配された、溌剌としたものだった。
「そいつは予言をするって話なんです。だからといって、ぼくのように牛の体をしているわけでもないんですよ」
「だったら、なんの体をしてるっていうんです」
 怪鳥はわざと件から目をそらして問いかけた。めずらしく彼の話に興味をひかれている自分に、なんとなし不満だったのだ。
 件は恋い慕う相手から合いの手があったというだけで上機嫌になってしまう。大様な口調の怪鳥にくらべて、倍の早さでまくしたてる。
「魚なのです。姫魚(ひめうお)というのだそうですよ。竜宮から来たのだという評判です。面白いことに体が魚のくせをして、女の顔した人の頭には、角が二本ついているというんです。ぼくはこの目で摺物(すりもの)の絵をちゃんと確認してきましたからね。どうです。やっぱりおかしいじゃないですか。魚に角があるなんて。女の顔に角だなんて。牛の体をしたぼくにだって、角はついていないっていうのに」
「摺物? それじゃあ、大流行だっていうあなたの言い分も、まんざら大げさでもないようねえ」
「はい。この姫魚というのは、『コロリ』という病が、日の本で流行るのを言い当てたって話なんです。どうです。たいした奴でしょう。それが、予言をしただけじゃなくって、自分の姿を描いた絵を見さえすれば、コロリにかからずにすむであろうと助言もしたそうなんです」
「絵を見ただけで、はやり病をふせげるなんて、本当かしら」
 怪鳥は胡乱なものを見る目つきで冷ややかに言うと、途端に興味を失った素振りで首を曲げ、横顔を胸の羽毛へ埋もらせてしまった。
「どうでしょう。本当に効くかもしれないし、効かないかもしれないし。どちらにしても、姫魚の絵を描かせて売りさばいた者は、かなりの儲けだったらしいですよ。ぼくは今いちばん人気のある滑稽本作者の家で、文机(ふづくえ)にある書きかけの新作を盗み見てきたんです。その稿によりますと、姫魚の絵を売って荒稼ぎしたうちのある者は、本宅を改築しただけでなく、新しく別宅を買い取ったうえ、若い妾も一人新造したというんですから。
 ともかく、はやり病を言い当てたってだけで立派なものです。それが本当のことであればですけれど。本当に予言が当たったならば、御利益がありそうなものじゃないですか。
 そうだ。ぼくは面白い物を手に入れてきましたよ。なんだと思いますか。じつはですね、ぼくの仲間の瓦版も出ていたんですよ。件です。件ですよ。でも、ぼくではないんです。ぼくは予言をしませんからね。予言をしたのは丹波国の件ということですよ。やっぱり同じように、はやり病を予言して、それから三日して死んでしまったそうなんです。興味深いのは、その瓦版に描かれている件には、姫魚と同じように角が生えているんです。人の頭から角が。
 ぼくには角が生えていませんのにね。なんでしょうか。同じ件であっても、角が生えているものと、生えていないものという種類の違いがあるんでしょうか。なんでも河童という生き物は、東国では赤い肌をしていて、西国では緑色をしているということですよ。おんなじように、件にも、東では角が生えていないものが産まれ、西では角が生えているものが産まれるという生き物としての違いがあるのでしょうかね。それとも、犬猫の毛の模様がそれぞれ違っているように、件一頭一頭によって、牙が生えていたり、たてがみがあったり、ひげがあったりするんでしょうか。
 シ、シシッ、シ、シシシシッ。
 そうそう、手に入れたといって実物をまだ出していないや。せっかくなので記念に一枚失敬してきたんですよ。お見せしますね」
 件はうつむくと、自分の股ぐらを覗く姿勢になり、渦を描くように頭をうごめかす。空無から一枚の紙片が現れて件の口に咥えられていた。
 首を伸ばし、怪鳥の足元へうやうやしく礼するように半紙を置く。
「姫魚より数は出ていませんけど、これを買って家に貼っておけば、家内は繁栄、悪い病にかかることもないって話ですよ。怪鳥さんもどうですか。お代はいただきませんから」
 件は自分のつまらない冗談に、また、尖った歯の隙間からさかんに空気を漏らすのだった。
「確かにこれは別の件のようですね。あなたとくらべると、ずいぶんと美形に描かれてあるわ。西の件はみんなこんなようなのかしら」
 怪鳥は紙を見下ろしたまま言った。
「さあ。少なくとも、そのほうが売れ行きがいいのでしょう」
「それにご自身で言っているように、私の前にいる件さんは予言なんてしませんものね。やっぱり予言をすると死んでしまうのが怖いのかしら。本当にそうなってしまうと信じていらっしゃるの」
「それは、ぼくだって死にたくはないですからね。なんといっても、お爺さんとお婆さんに、そうやって言い聞かされて育ちましたから。その瓦版の件だって死んじゃったって書いてあるでしょう。もちろん本当はどうだか分かりません。これは人間の噂を耳にしただけですがね、その件の瓦版は、姫魚が売れたのをうらやんだ別の業者がでっちあげで書いたって話もあるんです。なんでもその男は、以前は大化け猫が出たっていう記事を売っていたとかで。でも、その瓦版が嘘八百だとしたって、ぼくが予言をして死ぬっていうことまで、嘘とは限りませんからね。そうなるかもしれないし、そうはならないかもしれないし。ぼくにはそれだけのことしか言えませんね」
「あなたはいつだってそうなのよ。予言をしないってだけじゃない。あなたが確かに言えるのは、過ぎ去ってしまった昔のことだけ。将来のことになると、そうかもしれないし、そうでないかもしれないし、が決まり文句。だから、あなたがどんなに私を好いてくれたって、口説き落とすなんてことはありっこないの。だってあなたは先のことを、何一つ確かに約束できないんですもの。あなたに約束できまして。これから一生、とこしえに、私だけを愛しむと」
 怪鳥は答えを待たなかった。件が言えないことを知っていたからだった。
 空を仰いでギシギシと軽蔑を歌う。硬い鋼を無理に軋ませたような怖ろしい声だった。彼女は、たとえ件が誓ったとして、許すつもりがなかったにもかかわらず、いつもそうやって彼の愛情を試し、愚弄するのだった。
 件は、この時ばかりは何も言えずに俯いていることしかできなかった。
 怪鳥は件を一瞥してから、ぷいと顔を背けた。
「噂ばかり聞くんじゃなくって、本当のところを確かめてくればいいんだわ」
 怪鳥が言い捨てた瞬間、砂埃をまきあげて一陣のつむじ風がおそった。怪鳥は翼をひろげて顔をかばう。強風は過ぎ行くと一緒に、地面にあった半紙を連れ去ってしまった。激しい風に翻弄されて、たちまち川下の向こうへと飛んでいく。
 怪鳥が異変に勘づいて振り返った時にはもう、件の姿はかき消えてしまっていた。

 

 

「饒舌な件(くだん)」(二) 【鳥獣戯文シリーズ】


 

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