人類は如何に神々として滅びるか

『自己が無視されることを無視するという彼等の英雄主義』

小説「ドロテア」(九) 森の中で

 



  小説「ドロテア」(九)

  森の中で

 

 

 公国劇場の出し物の中に野外劇はいくつも数えられるが、緑の草を踏み、自然の中で役者が演じるのは、二日目の午後頭から、リッカルドが再び半円型劇場へ戻るまでの、原生樹林の森の中でだけだ。せっかく残ったこの貴重な森でも、舞台と客席になる区画を造成し、舗装された道を通すために、さらなる伐採が行われた。ドロテアでは演劇が何よりも優先されるので、劇中でいくら自然の美しさを賛美していようとも、必要があれば人の手による峻厳さの行使を惜しみはしないのである。
 とにかく、ここは森の中の舞台である。しかも、ただの森ではない。妖精と魔女が出てくる超自然の森である。バッコスの信女が、テーバイ王をずたずたに引き裂いたのと同じな、『夏の夜の夢』の中で、浮気草(うわきぐさ)の汁を目に受けた妖精の女王タイターニアが、馬の頭をかぶった田舎者の職人に恋をしたのと同じな、魔法の森である。たとえ潮気(しおけ)をふくんだ風の流れによっては、アンチョビ工場が排出する廃液のなまぐさい匂いが、観客の鼻腔をかすかにくすぐることが間々あるにしても。
 緑の舞台には、上手、下手から同時に役者達が登場する。上手から現れるのは、先にも述べた三人である。リッカルドは白馬に、ミュネーシケーは白馬よりさらに白く見えるロバに乗っている。馬もロバも作り物であって、模型の中に、ふだん仮面役をしている島民の演者が入って、二人を支えている。馬上のリッカルドは銀色にかがやく鎧に身を包み、長い槍をたずさえて、すっかり騎士の出で立ちをしている。騎士と貴婦人のあとに続くのは、妖精の従士である。クイックは、背中に透明な羽を生やしているが、仮面をつけた島の少女ではない。彼は(彼というからにはクイックは男が演じるのだが)外国人の役者である上に、侏儒(しゅじゅ)でなければならないという決まりがある。
 三人は舞台端でとどまり、会話をかわす。主に台詞が割り振られているのはリッカルドである。改めてまた必ず悪しき龍を倒すと誓い直すのは、芝居上はミュネーシケーに向かってだが、昼をはさんで頭の働きが鈍くなっていたり、午前の部を見ずに新しく加わった観客のために、もう一度説明してやっているのだろう。リッカルドは力を込めて、そのためにはまず、龍の封印を解いた魔女エオーディアを捕らえねばならないと強調する。しかし大仰な言葉づかいの中に、これといった根拠は示されない。
 もしもこの森の観客席に座ってなお、「まっすぐ龍退治に行けばいいのに」という不満を感じて白けるならば、それは多分、あなたがあまりに「リアリズム」という形式に毒されてしまっているからだ。騎士道物語のヒーローには、物語を完成させるよりも、物語を長く、いつまでも果てなく引き延ばすことが求められる。彼等は、その冒険を果たし終えれば、もしくはその敵を打ち倒せば、物語が終幕をむかえられると分かっている大事の時に、むしろそれらの冒険や敵を迂回して、なるだけ後回しにしようとするものなのだ。であるならば、われわれもまた公正な観客として、中世ロマンスの形式に身をゆだねようではないか。少なくとも、ドロテア演劇全体の主人公でもあるリッカルドは、まるで生まれつきそうででもあったかのように、すっかり騎士になりきっている。

 

リッカルド 麗しい乙女よ、優しい言葉はありがたいが、わが身の上へのご心配は無用に願いたい。この身が一心に求めるのは、あなたの幸福とプリクートの平安。それを成し遂げる他に、どんな名誉がこの地上にありうるというのでしょう。その時にこそ、自らの武勇と廉直な心ばえを、天下に燦然と輝かしめるというわが宿望も、はじめて叶えられるのです。

 

 騎士の頭を支配していたはずの復讐の誓いは、ここではもう完全に抜け落ちてしまっているらしい。もしくはこれも、魔法の森がもたらした効能の一つだろうか。
 下手から登場するのは、一人の役者と、一人の仮面、それから黒毛をした作り物の馬が一頭きりである。ここで初めて姿をみせる魔女エオーディアは、王女ミュネーシケーと変わらない衣装をつけて、貴婦人を気取っている。むしろそれぞれの役者によっては、偽者のほうが貴婦人らしい威厳をそなえて見えてしまうことも稀(まれ)ではない。
 仮面もまた、一見リッカルドに負けず劣らずの武者振りをした騎士であり、銀色にかがやく鎧をつけている。しかし兜のかわりにつけているのは、色褪せた紺(こん)のバンダナと黒い三角帽子で、これは「リッカルドの船」に乗っていた海賊と同じものだし、よくよく注意して眺めてみれば、鎧の隙間からのぞいている衣装も、海賊服だと見分けられるだろう。
 偽の騎士である仮面と、偽の貴婦人であるエオーディアは、一頭の黒毛馬に二人でまたがる。模型の中に入っている演者の負担はそれだけ増えるから、上手にくらべて、下手の登場が、いつも若干もたつき気味なのは致し方ない。こういう涙ぐましい辛苦の上に乗っかって、貴婦人に扮した魔女エオーディアは、手綱を握る愛人のたくましい腕の中に守られて振り返る。

 

エオーディア ああ、「知恵無き者⑴」よ、私の愛しい人。もうすぐ彼等がやってきます。一人は私と同じく白いドレスを身にまとった、上辺だけは立派な貴婦人ですが、中身はあやしげな魔術に秀でた、禍々しい魔女なのです。小賢しい悪知恵ばかりに長けた従士をつれた騎士は、あなたそっくりな美々しい鎧に身をつつんではいますが、愛人である魔女とみだらな肉欲でのみ結ばれた、生まれついての悪党です。彼等は悪い虫⑵達をしたがえて、この豊かな森を征服しようと企んでいます。ああ、もうずいぶんと近くへ、悪党達が迫ってきています。どうかあなた様の聡明さによって彼等の悪業(あくごう)を破り、正義の剣をもって、ことごとく息の根を止めて下さい。
⑴ 『妖精の女王』には「信無き者」「法無き者」「喜び無き者」という名前をもった、
異教徒である三兄弟の戦士が登場する。 ⑵ 妖精をさす。

 

 「知恵無き者」という名で呼ばれる偽の騎士は、風体からいって正体が海賊であるのは明らかだから、午前の部におけるミュネーシケーの台詞を信用すれば、魔女エオーディアが龍と交わってなした子供達の一人ということになる。
 母がその事実を知らないわけはなかろうが、息子のほうでは、愛人を本物の貴婦人だと信じて疑っていないかのように思われる。「かのように」としか書けないのは、「知恵無き者」が仮面役であることの弊害で、ほとんど台詞が振られていないため、芝居の上での仕草や素振りから、彼の心情を読み取ろうと試みるほかないのである。
 「知恵無き者」は、自身が海賊であるのを忘れてしまって、本当に騎士になったつもりでいるかのように振る舞う。馬上でしっかりと愛人を抱きすくめ、木彫りの面(おもて)に刳られた空ろな目から「熱っぽい」視線を、母であるはずのエオーディアへ注ぎかける。名残惜しげにゆっくりと手をはなして、彼女を草生(くさむ)した舞台床におろしてやる。
 エオーディアの体重分、斤量(きんりょう)を軽くしてもらった黒毛馬は、登場時より軽い足取りで歩を進める。上手から登場した「悪党」達も、同じようにして舞台の中央近くまでやってきている。偽りの騎士「知恵無き者」は、つい先だってよりの宿敵の姿を見定めると、槍をかまえ、一つ気合いの大音声を発すると共に、彼を支える模型に入った人間の脇腹めがけて激しい拍車を当てると、一直線に突き進む。
 リッカルドは辛うじて槍先をかわすが、体勢を崩したところを一気呵成に突き立てられて防戦一方になってしまう。突如開始された戦闘の煽りをくって、恐慌したロバからミュネーシケーが振り落とされる。従士のクイックが地面に座り込んだ王女を助け起こしている間に、ロバは上手から退場する。反撃に転じたリッカルドの勢いに押され、今度は「知恵無き者」がじりじりと後退する。決定的な一打が繰り出されると思われた瞬間、黒毛馬は素早く(しかし模型の中の人間はそれほど俊敏には動けないから、芝居上の演出としては素早く動いたという態で演じられ、そのように観客にも受け取ってほしいということである)きびすを返し、リッカルドの槍は空を切る。そのまま逃げていく「知恵無き者」と黒毛馬を追って、白馬にまたがったリッカルドもまた下手より退場する。
 魔女は依然、貴婦人の装いと、しとやかな物腰で自らを偽り、本物の貴婦人と従士に近づく。ミュネーシケーの身を案じてから、連れ添いの騎士の思い違いから不幸な成り行きになってしまった思いがけない出会いを、わざとらしく嘆いてみせる。

 

エオーディア 私と連れ立って旅をしておりますあの御方は、「知恵無き者」という名前を持った立派な騎士ですが、このあたり一帯に跳梁跋扈すると噂されております悪い魔女を懲らしめようと、もう一年近くもこの森をさまよい歩いているのでございます。私の両親は元々この森よりはるか西方、高い山々を越えた先に、豊かで広い領地を治める王族⑴でありました。しかし、むごい魔女によって、無惨にも心を奪われ、今は生ける屍となって二人とも床にふせっております。あの御方は私の境遇を哀れと思いなされて、魔女を倒して両親の心を必ず取り戻してみせようと誓ってくれたのでございます。しかし、私どもが持つ魔女についての知識はとぼしく、ただ彼女は白いロバに乗り、白馬に乗った凶漢を供にして、まるで貴婦人と騎士のように振る舞っていると聞いたのみでございました。そんな折、あなた様方とばったり鉢合わせをしたものですから、「知恵無き者」が魔女の一行をついに捜し当てたと、血気にはやったのも無理はございません。とはいえ、あなた様の気高く清純なたたずまいと、お連れの騎士の堂々とした風格と立派な武者振りを拝見すれば、それが「知恵無き者」の早合点であったことは明白です。どうか私どもの無礼な振る舞いをお見逃し下さい。それも全て、邪な魔女を討たんとする高貴な意志があってこその過ちなのでございますから。
⑴ ドロテア島よりひとまわり小さなプリクート島内に、そのような領地と王族があると
するのは、常識的には不自然である。

 

 ミュネーシケーはこころよく謝罪を受けいれ、さらに魔女がでっちあげた嘘の身の上に深い同情をあらわす。二人の貴婦人(うち一人は偽者だが)が二人の騎士(これも当然片方は偽者である)の身を案じ、ひどく胸を痛める様子を見かねて、クイックはうかつにもその場を離れてしまう。自分が騎士達を探し出し、誤解をといて争いをやめさせて来ようから、ここから動かずに待っていてくれと言い置いて退場する。
 二人きりになってしまうと、エオーディアはすぐに本性をあらわにする。心細そうに体を寄せてくるミュネーシケーへ、侮りを隠さない言葉を投げつける。

 

エオーディア まったく純真だの無垢だのと褒めそやされていたって、馬鹿みたいなもんじゃありませんか。こんなところへ置き去りにされちまってね。まるで「知恵無き者」と変わりゃしませんよ。
ミュネーシケー ええ……(困惑の態で)でも、きっとクイックが二人を探し出して、すぐにもここへ連れ帰ってくれるでしょうから。
エオーディア そうでしょうか? そうとも思えないですけれどねえ。騎士だの従士だのと言ってふんぞり返って威張り散らしていたって、案山子(かかし)も同然、何の役にも立ちゃしないんだから。
ミュネーシケー まあ、ひどい言葉。そう簡単に絶望して取り乱してはいけませんわ。
エオーディア 私は何も取り乱してなんていやしませんよ。ここまでだって、全て予定通りですからね。そりゃ、あの頭が空っぽの木偶(でく)の坊(ぼう)が、もっと強けりゃあ言うことはなかったんですけど。こんな時のために、別の連れを用意してあるんですよ。(舞台奥にむかって呼びかける)さあ「勇無き者」に「誠無き者」よ。何をぼやぼやしているんだい、さっさと出てきて仕事に取りかかるんだよ。

 

 舞台奥から登場する二人の男は、馬には乗っていないが、「知恵無き者」と同じく海賊服の上に鎧をつけた偽の騎士で、一人はやはり同じく三角帽子をかぶり、木彫りの面の片目に黒の眼帯をかけている。もう一人は髑髏が描かれた古びたバンダナだけを頭に巻いている。ミュネーシケーもさすがにエオーディアの態度の変化に触れて、おそるおそる後ずさりをはじめているのだが、登場したばかりの「勇無き者」と「誠無き者」に逃げる間もなくたやすく捕らえられ、抱え上げられてしまう。島民の観客が多ければ、笑い声やさかんな拍手に、けたたましい指笛さえ飛ぶ場面だ。とはいえドロテアへの旅行を計画している読者が、あまり神経質になる必要は無い。閑散期を除けばいくばくかの観劇料が設定されるため、島民の観客はほとんど見当たらない。皆神話劇に夢中なのだ。バカンスで訪れる観光客なら、静かな森の中の舞台で、落ち着いてヒロインの危難を楽しむことができる。
 クイックが手ぶらで一人きり戻って来たときには、舞台には何者の姿もない。妖精の従士が見つけるのは帯一つだけである。ミュネーシケーがドレスの腰に結びつけていたはずのものだ。彼はなにゆえか魔女の仕業(しわざ)だと素早く悟って、王女を救わんという決意を観客に向かって独りごちた後、悪しき者共を追って上手から退場する。
 次いで舞台に戻ってくるのは、リッカルドと「知恵無き者」の二人である。馬を失い槍を捨て、剣で斬り結び合いつつ下手から登場する。
 二人が舞台の真ん中まで来たところで、上手からエオーディアが現れる。魔女は白いドレスを脱ぎ捨てて、真っ黒なドレスに身を包み直している。エオーディアの登場を合図に、「知恵無き者」は追い詰められ、とどめの一撃を、どてっ腹にくらうか、眉間を割られるか、肩口から斬り裂かれるかして、舞台奥の奈落へ姿を消す。母親は息子の死に舌打ちをし『役立たずが』と罵る。ちらちらと物欲しげな視線を、勝ち残った騎士に向けて送りながら、その場へうずくまって悲しみに暮れる仕草を演じる。
 リッカルドが歩み寄り、騎士らしく率直に、また情け深げに話しかける。

 

リッカルド どうかお許しください。私としてはこの身を守ろうとして戦っただけなのです。私はこれまで騎士として恥ずかしくない行いを立派に果たしてきたつもりですから、彼がこちらの話に耳を貸してくれさえすれば、あらぬ疑いは晴れ、誤解も解けて、このような悲劇を招かずに済んだでしょう。あなたにとっては憎い敵ではありましょうが、かといって私もかよわい女性をこのような森の深い場所に捨て置いて立ち去るわけにもいきません。どうかあなたの身内がいる場所まで、私に護衛役を務めさせて頂きたい。その上で、あなたの身内や、今倒した騎士の仲間が、あくまで仇を討たねば許せぬと考えるなら、騎士の作法に則った果たし合いである限り、私もまた敵に背を向け逃げるような卑怯者ではないのですから、堂々と応じるつもりでいます。
エオーディア いいえ、ご心配には及びません。私と共にあり、今あなたの正義の剣によって倒された男は、「知恵無き者」という名を持った海賊の一人で、本当の騎士ではありません。禍々しい「大いなる龍」を父とし、邪な魔女エオーディアの胎(はら)から生まれた「悪しき者共」の一人だったのでございます。
 どうか私の不幸な身の上話に耳をお貸し下さい。私は名をサルマといって、両親はこの森を南に抜けた果てにある大河の、向こう岸に広がる一帯、美しい花が季節を問わず咲きみだれる所領を治める貴族でありました。しかし、ある時魔女の率いる怪物共がおそいかかり、所領は蹂躙されて焼き払われ、ついには私の両親も館の内で捕まり、無慈悲にも命を奪われてしまいました。この身を黒の喪服で包んでいるのは、そのためでございます。私はある家臣の機転によって、幸運にも命だけは救われましたが、見知らぬ土地で、供の者もなくし、途方に暮れておりました。その時現れたのが、あの「知恵無き者」だったのでございます。世事にうとく、困窮していた私は、あの男の甘言にたやすく騙されてしまいました。とはいえ、乱暴な男のことですから、私が同行を承知しなくても、力ずくでそうしてしまったに違いありません。とにかく、その日から、あなたにお救い頂くこの時まで、私は「知恵無き者」の暴力に支配され、無理強いされて森の中をいつまでも連れ回されていたのです。

 

 リッカルドは、サルマ姫を騙(かた)る魔女エオーディアを助け起こし、優しく体を支えて歩きながら、まるで恋人同士のように親しく語り合う。彼女の美しさを賛嘆し、『生涯にわたって仕え、崇拝をつづけるべき唯一の女性にめぐりあった心持ちがする』とさえ言ってのける。妖精の王女と出会ったせいで、復讐の誓いがすっぽりと抜け落ちてしまったのと同じく、今度は偽の貴婦人サルマとの出会いが、リッカルドの頭からミュネーシケーの存在を、きれいさっぱり洗い流してしまったものらしい。
 「サルマ姫」は切れ間無く紡がれる愛の言葉に応えて、騎士の美徳を大げさに褒めそやす。「知恵無き者」を倒したその勇武、サルマを送りとどけようと申し出た慈悲の心、果たし合いを望まれれば受けると自ら申し出た高潔さ、礼儀にかなった言葉と物腰、今、自分に愛を誓った言葉の誠実(つい先ほどまではミュネーシケーにその愛は向けられていたのである)信心深さと愛国心の強さ(兄王クレオルの仇討ちと、ドロテアの民が忘れられたままなのは、すでに何度も指摘した通りだ)といった具合に。リッカルドはその度まずは謙(けん)遜(そん)し、両手を差し出して感謝の言葉を口にし、彼女の足元に跪(ひざまず)いたり、腰に手をまわして耳元へ甘い言葉を囁きかえしたり、手を取って口づけをしたりと忙しい。
 この場面を取り上げて、ごく一般的な解釈を試みれば、リッカルドが魔女エオーディアに籠絡されたとするのが普通だろう。
 しかし、騎士道物語の一部分として見るならば、現代では「ロマンス」という言葉の一般的な意味として通用している「恋物語(ラブロマンス)」の代替として、この場面が演じられているのだと解釈できる。「ロマンス」もしくは、その大部を占める中世騎士道物語は、読者(観客)の願望を満たすことを目的にしているから、読者(観客)が感情移入して自身を重ね合わせている主人公(騎士)が、行く先々で美女と出会い、愛のよろこびをくり返し味わうのである。
 ただし「サルマ姫」と騎士リッカルドの結びつきは、あくまで代替行為であり、偽物の愛に過ぎない。道を踏み外した騎士が、やがては必ず報いを受けさせられるのも騎士道物語における約束事の一つである。リッカルドもこの先で、手ひどい敗北を味合わされる運命にある。たとえ彼が並外れた武力を持っていたとしても、この場合には役に立たない。
 二人は十二分にお互いの美点を褒めたたえ合い、熱をこめた視線で見つめ合ってから、大木の根元に腰をおろして休むことにする。出会ってすぐ急速に惹かれ合う恋人達の例にもれず、たっぷりと時間をとって語り合いたいという焦りにも似た、あの悦ばしい衝動の虜になっているのである。どこまでも情熱的なリッカルドと、あからさまに妖艶を意識した「サルマ姫」の態度は、もう一つの規範を逸脱しかねない危うさを感じさせる。枝葉を広げる大木の陰に陽の光を避けて、今にもより直接的な愛の営みを始めかねない風情だ。
 騎士が貴婦人に寄せる愛情とは、プラトニックなものに限られ、肉体的な結びつきは忌避(きひ)される。『妖精の女王』に登場する貴婦人にして女騎士でもあるブリトマートが、あくまで冒険の継続を望む婚約者アーティガルの不粋さと、作者スペンサーの死による未完の犠牲になって、叙事詩の中に永遠の乙女として閉じ込められてしまったように、たとえ結婚の約束を交わした独身の男女にさえ、閨事(ねやごと)の楽しみから遠ざけようとする力が働くのである。セックスそれ自体は、ほとんどの場合、堕落した騎士にあらざる騎士と、淫蕩な悪女につきものの不埒な行為として言及される。
 皮肉なことに、リッカルドを情欲による決定的な堕落より救うのは、偽の愛の相手を務めるエオーディアである。彼女は「知恵無き者」との戦いで傷つき疲れた騎士を気遣い、体を癒やし、さらに剛力無双の強さを得るという秘薬を手渡す。罠である。実際には、その正反対の効果を持っている。飲んでしまえば、肉体的な交歓を楽しむどころではない。エオーディアにしてみれば、そのままリッカルドと関係してしまっても、たやすく勝利を収められたはずだ。もしかすると魔女としての自尊心と嗜(たしな)みが、正義の騎士と行為に及ぶという悪趣味を許さなかったものだろうか。

 

エオーディア これは私の家に代々伝わる魔法の薬です。私の祖先は、ある時、所領を荒らしにやってきた悪い妖精達をつかまえて、罰として厳しい苦役を課しました。その時妖精達が流した苦い涙を集めて作ったのが、この薬なのです。(小瓶を手渡す)
リッカルド (薬を一口に飲む)……おかしい、何か寒気がするようだ。力が萎えて、拳さえ握れそうもない。これでは歩くどころか、立ち上がるのさえ億劫(おっくう)だぞ。
エオーディア ご心配には及びません。それこそ薬の効いている証拠。全身をおこりのように襲う寒気が、ひとたび消えてしまいさえすれば、嘘のように大きな力を得ることができるのです。(声を潜(ひそ)ませて)消えてしまうことがあれば、の話だが。

 

 エオーディアは立ち上がってリッカルドの側を離れると、さかんに首を振ってあたりを見回す。舞台に現れるはずになっている怪物の姿を探し求めているのだ。彼女は新しく舞台に現れた息子を見つけると、リッカルドに注意をうながすような口振りはしながらも、むしろ怪物に向かって、大声で興奮を隠せずに呼びかける。

 

エオーディア ああ、何ということでしょう。こんな時に怪物がやってこようとは。リッカルド様は薬が効いて、いまだ体がまともにかなわぬというのに。今戦っては、大人が赤子の手をひねるよりもたやすく打ち倒されてしまうでしょう。ああ、お逃げ下さい。今にも、あの怪物が、今にも、今にも……。(焦(じ)れったそうに巨人に向かって叱りつける)ええい、早くおし。何をしているんだい、あいつはあそこにいるじゃないか。

 

 エオーディアが「怪物」と言ったのは、キュクロープス型の一つ目をした巨人である。しかし、頭が百八十度回転して、前後ろについているから、彼には全然進行方向が見えていない。巨人は動きがあまりにも鈍(のろ)くさく、太い腕の先に握った棍棒は、何度も見当違いの地面に打ちつけられる。エオーディアが癇性(かんしょう)を起こしてしまうのも仕方ない。
 高い竹馬(スティルツ)を履いた演者が一人、着ぐるみの中に入って悪戦苦闘しているわけだから、何も演技をするまでもなく、自然のままで動きは緩慢なのである。
 リッカルドは倍の背丈がある怪物にも怯まず、果敢に立ち向かいはするのだが、剣さえまともに持てないほどに力が弱っていてはどうしようもない。やみくもに打ち下ろされる棍棒が、たまたま彼を襲うと、受けきれずによろめき、腰をつき、ついにはなぎ倒されて、地面に突っ伏してしまう。
 この場で命を奪っても良さそうなものであるが、そうすると物語が終わってしまう。魔女は騎士に手枷をつけると、弱々しくよろめくのも構わず追い立てる。舞台奥から巨人ともども退場していく。
 偽の貴婦人として登場し、息子である「知恵無き者」を騙してその愛人を演じ、次には従士と本物の貴婦人を嘘で言いくるめてミュネーシケーを誘拐し、最後にリッカルドを骨抜きにして毒を含ませ捕らえてしまうという八面六臂の活躍を見せてくれるエオーディアは、設定からして龍を復活させ、「悪しき者共」を産み落とした敵側の首魁(しゅかい)というのだから、公国劇場二日目に登場する人物の中で、非常に重要な役どころであるのは間違いない。しかし重要であるにもかかわらず、エオーディアは外国人の役者が演じるべきとされる登場人物の中で、仮面をつけた島民の演者によって演じられる機会の最も多い役の一つである。エオーディア役に決まった役者達の雇用が安定しない原因は、彼女達が求められる二つの相反した性質による。
 ドロテア演劇において「神の声」として働く島民達の強い願望の一つに、劇中において不仲な、もしくは結ばれなかった男女を演じる役者に、舞台をおりた私生活では良好な関係を築いてほしい、というものがある。典型的な例は、読者もすでに承知しているルゴリオーとラウラの組み合わせだが、「代理の王」クレオンと「不幸な」エレオノールや、「高慢な」イライザと「そうだろうねの」ジムなどにも、比較的ゆるやかではあるものの同種の期待が寄せられる。反対に、幸福な恋人や夫婦、特にハッピーエンドの形で結ばれる男女の役をつとめる役者には、恋愛感情は禁忌とされる傾向にある。中でもラウラと「寝取られ男」ジャックや、リッカルドとミュネーシケーの間で噂がたてば、もうそれだけで十中八九、役者としては終わったとみなしていいほどだ。
 エオーディアに対してこの「神の声」が作用するのは、リッカルドとの関係においてである。劇内世界での二人は、魔女エオーディアの奸策によって愛の言葉を交わし合い、まるで恋人のように振る舞いはするが、これまで見てきたように、それは嘘の愛であって、成就することはない。そのため自然と島民の間には、劇外でのエオーディアとリッカルドの関係に期待が寄せられる。しかし、ここに一つの問題が生じる。
 劇内世界での魔女エオーディアは、非常に分かりやすく「悪」そのものを体現している。したがって、島民達は舞台から降りたエオーディアにそれとは反対の性質を求める。人は誰もが聖人のように生きられないとしても、最低限彼女は、悪人とは程遠い何者かでなくてはならないのである。エオーディアは悪事に手を染めてはいけないし、悪に近づくだけでも不似合いだと難ぜられる。一方、役をはなれた私生活におけるリッカルドは、犯罪の温床、悪徳の庇護者にして積極的な悪行の推進者である。エオーディアがリッカルドと親しければ親しいほど、島民の中で彼女に違和感を覚える者が増えていく。
 ドロテアの公国民は、この二つの決して相容れない要求を、非常に無邪気な態度でエオーディアへ突きつけるのである。こういう期待に応えるのは、どのようなエオーディアにとっても、あまりに困難である。彼女達が採用される片端から島を離れていくのも、もっともな道理だと言わざるをえない。厚かましく近寄ってくるリッカルドの人となりに耐えかねて、ドロテアに着いてから三日も保たずにやめてしまった潔癖なエオーディアもいた。
 知る中で唯一、長きにわたって役をつとめ続け、島民から役者として大きな賞賛を勝ち得ただけでなく、舞台をおりた私生活においても「類い稀なエオーディア」という特別な呼び名を与えられた女性がいたのだが、今になって振り返ってみれば、彼女は自尊心が強くて如才ない身の処し方にきわめて長けていただけの、中身は何もない女だった。彼女はドロテアの小悪党達がたむろするリッカルドの「サロン」で、女主人であるかのように振る舞い、礼儀作法などにはからきし疎い粗野な男達から、まるで貴婦人を遇するかのように丁重に扱われた。
 「類い稀なエオーディア」は、その気位の高さによって、誰かが自分を悪事へ荷担させようと誘うのを、たとえ戯れとしても許さなかったし、男達は他の女達には挨拶のように気安く投げかける卑猥な冗談を、彼女にだけは決して言おうとしなかった。彼女はいつも尊大に構えていながら、愛想良く話に応じて相手を満足させてしまうという、老練な政治家もこれほどにはと思う手管を持っており、常にリッカルドの身近にいながら、一人高みにあって、何か清浄な雰囲気を持っているかのように見えたものだ。今思い返せば、それがただの「雰囲気」であるに過ぎず、「かのように見えた」だけであったとは分かるが、当時ドロテア公国にいたわれわれの誰もが、まるで奇跡を目の当たりにしているように感じさせられていた。
 「類い稀なエオーディア」が島民からの絶大な支持を失った理由は、あまりに凡庸なものだった。彼女はリッカルドと寝ていたのである。リッカルドの別の愛人がその現場に鉢合わせて、ちょっとした騒ぎになってしまったから、隠し立てはできなかった。彼女が劇外で演じてみせた「奇跡」は、おそらく計算ずくの行為の結果というよりは、天性のものが大きかったので、誰でも予想できたありきたりな結末を呼び寄せてしまったのだろう。
 それ以降またエオーディアを演じる役者の在籍は安定しなかったし、二日目に登場する魔女は、仮面をつけて演じられがちだった。なにしろせっかく雇用にこぎつけても、短期間で辞めてしまう割合が高く、そうなると募集をかけて面接をする側も馬鹿らしくなって、真面目に採用しようという気がどうしても削がれていく。ますます仮面役の出番は多くなっていくのだった。
 われわれの物語の主人公である、あの青い薄手のブルゾンを着たルゴリオーが公国にやってきた時分にも、エオーディア役は空席になっていた。新しい魔女役が採用されたのは、彼が公国劇場の舞台に初めて立ってから一月以上も後になってからのことだった。
「お疲れ様、ルゴリオー。夕飯は食べ終わったの?」
 娯楽棟の談話室で、一人時間をつぶしていたエオーディアは、読みかけていた数号遅れの古雑誌をローテーブルの上で閉じると、顔見知りの役者に声をかけた。
「お疲れ様、エオーディア」
 出番を終わって遅目の夕飯をすませたルゴリオーは、正式には文化棟、役者達からは娯楽棟と呼ばれている建物に入って、何か目的があるわけでもなく、ぶらぶらと歩き回っていたのだった。役者達は敷地内にある家に帰っても手持ちぶさたなので、出演予定のない昼間の空き時間や、閉場後の数時間にここへ顔を出し、カードをしたり、玉突きをしたり、音楽を聴くか、新聞や雑誌や本を読むか、ぼんやりTVを眺めるか、それとも役者仲間から新しい噂話を仕入れるか、とにかく思い思いに楽しみくつろいで、自分の時間を過ごすのである。
 新入りのエオーディアにとっては、ルゴリオーは自分と最も入団が近い役者だったから、何となしに親しい気持ちがしたし、誰よりも気安く話しかけやすかった。ルゴリオーは自身もまだドロテアへ来てから浅いだけに、エオーディアの気持ちを察して、同じテーブルを囲むソファに腰かけた。
「少しは慣れたかい?」
「ええ、私の出番は二日目だけですし、だから神話劇の台詞は一切おぼえなくてもいいでしょ? その分、別の日に、島民にはできない仮面役をやってほしいとは言われてるけど、これから少しずつという感じですね」
「それなら安心だ。生活の方はどうかな。舞台が終わってからの、ドロテアでの暮らしは。そっちの方が大変かもと思って聞いたんだけど。と言っても、僕だってまだ新入りだから、いい助言をしてあげられる自信はないんだけどね」
「ああ、私はてっきり芝居の方かと」エオーディアは、この時はじめてルゴリオーに向かって頬をゆるめた。それから小さく首を振って「まだなかなか。いえ、正直に言ってしまうと、いつまでも慣れそうにないですね」
「はじめのうちは多分仕方ないよ。ここは色々と独特なルールがあるようだから」
「ルール?」
「そう。暗黙のね」
 エオーディアはかすかに顎を引いて考えたあとで、思い当たる節があるというふうに、何度か小刻みに頷いた。
「島民って言うことが理不尽ですよね」
「まあ、島民の好き嫌いについては、どうしようもないからね」
 島民から受け容られたばかりだったルゴリオーは、決まり悪い思いをしながら答えた。
「それだけじゃないんです。だって私の芝居を観に来てるのは観光客ばかりで、彼等はほとんど舞台の上の私を知らないんですよ。それなのに、役に向いてるとか、向いてないとか、良い悪いを云々するだなんて」
「でも、君の評判は悪くないらしいじゃないか。客受けはもちろん、脚本家や役者の間でも、島民にだって褒める人間が多いって聞いてるよ」
 ルゴリオーの気休めの言葉は、あまり効果がないらしかった。
「私、リッカルドが苦手なんです。彼と親しげに接するなんて出来そうもなくって。だから、エオーディアとしてうまくやっていく自信がないんです。あまり長くはここにいられないような気がするんです」
「エオーディアが難しい役だってことは、僕だって聞き知ってはいるけれどさ。考え過ぎはよくないよ」
 エオーディアとして採用される役者達は、善良であるがゆえの弱さや、正義感が強いからこその脆(もろ)さを併せ持った女性が多かった。彼女達は誰かに愚痴をこぼすことはあっても、結局は身一つに不満を抱えこんだまま、耐えきれなくなるそう遠くはない将来を待って、島から去って行ったものだ。
 しかし、この時ルゴリオーの前にいたエオーディアは、そういう「一般的な」エオーディア達とは違って、何か決然としたところを持っていた。ドロテアに来るにはまだ若かったせいもあるだろう。(若いというのは、必ずしも年齢だけについていうのではなくて、彼女がまだ役者としての自身の可能性を諦め切ってはいないという意味である)エオーディアにとっては、無(ぶ)難(なん)な受け答えに終始するルゴリオーの態度は、なんとなしに失望を誘うものだった。この時の彼女が、自らの失意の理由をまったく知るよしがなかったとしてもである。
 エオーディアは憂(ゆう)鬱(うつ)な話題を振りきるように、表面的な明るさを装って話題を変えた。ただし、内心では、まだ自分にも確かには分からない期待に取りすがろうとして、こう聞いたのだった。
「あなたはクレオンと友達なんでしょう? だって聞いたんです。ルゴリオーであるならば、クレオンとは話が合うものだって」
「ああ、うん。彼とはドロテアへやってきたのもほとんど一緒だったからね。面接も同じ日だったんだ。クレオンはいい人だよ」
「クレオンとあなたは友達で、あなた達とリッカルドは折り合いが悪いと決まっているんですって。なぜって、あなたはルゴリオーで、クレオンはクレオンだし、リッカルドはリッカルドだから」エオーディアは少し大げさに自分の言葉で笑ってみせた。「だから、私とあなた達は仲間なんですよ。私もリッカルドが嫌いですもん。困ったときは声をかけて下さいね。仲間は助け合わなきゃいけないでしょ?」
 エオーディアがもっと後になって、この言葉を口にしたなら、ルゴリオーもまた違った反応をしたのかも知れなかった。しかし自分の未来を見通せるわけもないルゴリオーがこの時語ったのは、またしてもエオーディアを思(おも)い遣(や)っているからこそ、彼女にとっては不満が募(つの)る慰めの言葉でしかなかった。おそらくエオーディアはこの会話の後ですでに、無意識のうちにルゴリオーを見限っていたのだ。彼女の言葉とは裏(うら)腹(はら)に、二人はもうすでに仲間ではなかったのである。
「ありがとう。でもやっぱり君はエオーディアだからね。島民の望むエオーディアからあまりかけ離れた行動はしないほうがいいよ。そうでさえあるなら、なんとかやっていけるはずだから。役者を見つけるのが大変な役には、島民もあまり難しいことを言わなくなるらしいんだ。ほら、君と一緒に出ているクイックを見てみなよ。彼は他より貴重な存在だから、何をしていたって構わないんだ。君はずいぶん長い間空き役だったところを、なんとか劇場が雇い入れたエオーディアなんだから、よほど極端に外れたことをしない限り、ここに残って芝居ができるはずだよ」

 

誠無き者 おい兄弟。こんなチャンスはもう一生ないかも知れねえぜ。
勇無き者 だが兄弟。俺は母さんにばれちまったらと気が気じゃない。
誠無き者 ばれるものかよ。なあ兄弟。よくよく考えてみるんだぜ。その母さんからして、自分の息子といちゃついて、けっこう楽しんでたんじゃないか。俺等だけ指をくわえて見張り番じゃあ報われねえや。
勇無き者 それはそうだが。でも兄弟。俺達は母さんから、この女を誰にも触れさせないよう見張っておけと命令されたじゃないか。あの恐ろしい魔女エオーディアからさ。だいたいが、俺は自分の母親といちゃつかれたって何にも羨ましくはない。
誠無き者 へえそうかい、俺はいい女なら母親だって構いやしない。あんなにも美しい貴婦人に化けているんなら尚更(なおさら)さ。ところで、俺達がさらってきたのも、美しい貴婦人ときていやがる。こいつは魔女が化けてるんじゃない。正真正銘の貴婦人さ。この女ならお前だって文句はないだろ? これ以上ウジウジするなら、もう待てねえ。俺一人で楽しませてもらうだけだ。
勇無き者 (王女に襲いかかろうとする「誠無き者」を引き留めて)まあまあ待てよ。慌(あわ)てるな。乱暴にして女に傷がついたり、ドレスが破れたらどうするつもりだよ。母さんは俺等を生かしちゃおかねえぜ。こういう時は、証拠隠滅が大事なのさ。
誠無き者 ふーん、隠滅がねえ。まあお前がその気になったならいいさ。で、兄弟、その隠滅っていうのは、どうやってやりゃあいいのかね。
勇無き者 まあ兄弟、焦らず俺に任しておけよ。(騎士の作法をでたらめに模倣した仕草で、ミュネーシケーに話しかける)これはこれは、お美しいお嬢さん殿、妖精の国の王女様さん、これはあんたの利益にもなるはずの話でございますですから、ちょいとばかりお耳を拝借つかまりたく存じ上げておる次第でございます。
誠無き者 お前は頭がどうかしちまったのか? さては腹が減りすぎてミミズかネズミでも食っちまったな? どうして俺にも分けなかった?
勇無き者 誰がそんな気色悪いものを食うかよ。考えるだけで鳥肌が立つ。いいから、黙っていろ。貴婦人てものに話しかけるには流儀があるんだからな(再びミュネーシケーに)先刻よりの俺様方のお話をお聞き及びでいるんなら、察しもついておいででしょうが、俺達はお嬢様さん殿と……つまり、あれだ、ナニするつもりに決めたところでございましょう。つきましては、王女様さんのドレスに穴があいたり、怪我をされちまったら、困惑限りなしの事態になりますゆえ、どうぞ御自らドレスを脱いじまって、すっぽんぽんにおなり遊ばされる訳にはいきませんでございますでしょうか。
(ミュネーシケー首を振る)
誠無き者 駄目だ、駄目だ。やっぱり俺のやり方でいく。
勇無き者 待てよ。無理矢理なんて、俺にはそんな野蛮な趣味はない。

 

 「誠無き者」と「勇無き者」が揉めている間に、助けの手が間に合うのは、この手の芝居にはありきたりな、しかし観客にとって受け容れやすい約束事の一つである。
 クイックが遅れて登場する。妖精の従士は、仲違いする兄弟に向かって『その汚れた手を王女から離せ』と一喝すると、すぐに剣を抜いてしまう。公演五日目の出し物で、ジャックと共に黄泉へ下る際のクイックならば、海賊服に騎士の鎧を着けた「誠無き者」と「勇無き者」の滑稽な姿を前にして、観客の笑いを誘うような気の利いた台詞を吐かないではいないのだろうが、この場においては騎士道物語の形式にしたがって、アイロニーとユーモアを封印し、実直な従士の分を守っている。
 クイックは、二人を相手に見事な剣さばきを見せて、またたく間に海賊二人を斬り捨ててしまう。「誠無き者」と「勇無き者」は、先にリッカルドに敗れた「知恵無き者」の後を追って奈落に落ちる。
 自由になったミュネーシケーは、リッカルドが魔女エオーディアに囚われていると聞かされ、嘆き悲しむ。が、それだけで終わらない。興味深いことに、これまで常に自らの運命に対して受け身であるように見えたミュネーシケーが、突然、積極的に行動し始めるのである。王女は『必ずやこの手で救い出そう』と誓いをたて、従士に槍と鎧を用意するよう命じてから、主従揃って一旦舞台からはけていく。
 舞台奥の仕切りが開き、入れ替わりに登場するのは、魔女と囚われの騎士である。金色の玉座にあるエオーディアは、目の周りと唇を紫に塗って、顔全体を青白くした魔女らしい化粧をほどこしている。口元まで曲がり下がった鷲鼻を尖らせ、美しい曲線を描いていた艶やかな栗色の髪は、真っ白い乱れ髪に変わり果てている。リッカルドは鎧をはぎとられ、肌着だけになった体を縛められ、鎖をつけた首輪をはめられて、跪いている。
 エオーディアは左手に握った鎖を引っ張り、右手に持った杖で地面を叩き、リッカルドをさんざんに嘲罵する。見ようによっては、アブノーマルなエロティシズムを感じられる場面だ。エオーディアによる虐待は、彼女の勝ち誇った高笑いを合図に終わる。舞台上に、新しい登場人物、光り輝く鎧を身にまとった騎士が、クイックをひきつれて姿を現すからだ。観客にはこの新参の騎士が誰なのかということが、たやすく推測できてしまうが、「誠無き者」と「勇無き者」を失った事実をまだ知らない魔女にとっては、「彼」が兜を脱ぎ捨てるまで、正体不明の謎の騎士のままである。

 

エオーディア おや、なんだろうね。呼んでもいないお客様がやってきたようだが。
騎士 私は、お前が不当にも捕虜にして自由を奪っている、その騎士の仲間だ。気高い正義の騎士にふさわしからぬ不名誉な縛めを今すぐ解いてもらおう。
エオーディア お断りだね。この男は好きでこうしているんだ。私に惚れてしまったものでね。
騎士 でたらめを言って、その騎士を汚すな。どうしてお前のような汚らしい鬼婆に心を傾ける男がいるものか。
エオーディア でたらめなものか。娘の格好をしている私は、どんな貴婦人よりも美しいからね。石頭なつもりのお前でも、私の仮初めの姿と一度目が合ったら最後、跪いて自分から首輪をせがんで来るに違いないよ。
騎士 (笑う)それはあり得ない妄想だ。
エオーディア (機嫌をそこねて)妄想かどうか、試してやろうか。
騎士 その必要はない。今この手で証明してやろう。
(騎士は兜を脱ぐ。長く豊かな金髪が踵まで垂れ下がって揺れなびく)
エオーディア 女か! 妖精の国の小娘だな
騎士(ミュネーシケー) この槍をもって積年の恨みを雪(すす)がん! 覚悟しろ。

 

 長いブロンドをなびかせる女騎士という、ロマンスの伝統にのっとった絵画的な一場面は、森の中で行われる一連の芝居の中でも、必須とされている演出だから、ミュネーシケーを演じる役者がアフリカ系だろうと、アジア系だろうと、その他どのような人種であっても変わりがない。ミュネーシケー達は、皆等しく、よく手入れされた長い金髪のかつらをつけなければならない。
 こういう演出を不自然と捉える読者がいたとして、それも一理ある物の見方かもしれないが、公国劇場を擁護しようとする立場からすれば、劇内世界の「本当らしさ」について、あまりに狭量過ぎる態度だと言わざるを得ない。なぜなら、リア王やリチャード三世は、さまざまな国々において、さまざまな人種の役者によって演じられているではないか。シェイクスピアに限った話ではない。アガメムノーンが英語を喋り、カルメンが日本語で誘惑し、ラネーフスカヤ夫人がスペイン語で在りし日の幻影を追いかけているではないか。であるならば、ドロテアで雇用された外国人の役者が、自分とは違う髪の色をしたかつらをかぶってミュネーシケーを演じたとして、何の不都合があるだろう。
 またミュネーシケーの性格を歪めてまで彼女に鎧を着せて槍を手にさせたのは、フェミニズムの要請を受けた現代的で政治的に正しい演出なのだろうと読者が考えたとしても、残念ながら、穿(うが)ったつもりで穴をあけ損ねた思い違いだと断言できる。ドロテアの島民は「政治的な正しさ」というものを、ジョークとしてしか認識しないのである。あなたが真面目に「政治的な正しさ」を語れば語るほど、島民はあなたのことを、度外れていい加減な山師的人物だとみなすに違いない。なおも理解させようと頑張ったところで、彼等は腹をかかえて笑い転げるだけだ。ドロテアでは、正しいことは、ただ正しいのであり、条件付けや修飾を必要とはしない。しかも、ドロテアにおける「正しさ」とは、劇内ではリッカルドの強さや血筋によって、劇外ではクレオンなどの正直さによって表されるものであり、いずれにしても外国人の役者だけが持っていればよい性質なのである。
 ミュネーシケーは単に騎士道物語によく登場する女騎士の役割を振られたに過ぎない。もう一人分、外国人の役者を必要とする役柄を用意するには、時間が足りなく思われるから、脚本家はこういう場合に最も安直な方法を、一つの役柄に複数の性格を束ねて持たせるという解決策をとったのである。
 ロマンスの世界においては、貞節な乙女が一度鎧に身を包むと、たとえそれまでは、か弱い女性に過ぎなかったとしても、長く厳しい修練どころか、剣技の心得すらろくにないままで、すぐさま最強の騎士となることが可能である。ミュネーシケーもこの前例にのっとって、魔女が再び呼び出した、首から上を前後ろにとりつけた一つ目の巨人を、槍の一撃でいともたやすく打ち果たす。巨人は体を仰け反らせた姿勢のまま、どおと大きな音をたてて倒れ、すなわち巨体を仰向けにしながら顔は地面に突っ伏して息絶えるのである。
 エオーディアは、この光景に恐れをなして逃げ去ってしまう。これ以降、魔女がドロテア演劇の舞台に姿を見せることはない。彼女の姿を再び見るためには、次回に行われる公演の二日目を待たなくてはならない。退場した魔女がこのまま二度と舞台に上がらないということは、この後五日目の公演日を待って、ようやく龍が退治され、プリクートに平和が戻ったと登場人物達がうかれ騒ぎ、舞台上が祝祭的な明るさ一色に包まれたときにも、エオーディアはどこかで生きながらえていると考えるのが普通の解釈だろう。
 プリクートにはびこる悪しき者共の黒幕として暗躍していたはずのエオーディアを、みすみす逃がしてしまう結末では、釈然としないという感想を持たれるかもしれないが、二日目の上演プログラムには、もはや魔女を追いかけている時間的余裕は残されていないのである。物語の簡略化はこればかりではない。本来ならば、悪党の奸策によって堕落した騎士は、精神と肉体の健康を取り戻すために、治療に長い時間を費やすか、何か別の試練に耐えるか、神聖な啓示をもたらしてくれる場所へ赴くかしなければならないはずだが、リッカルドはミュネーシケーの清浄な愛の力によって、たちまちに魔女が処方した偽薬の呪いから解放されてしまう。公国劇場は二日目の終演時間にむかって、ロマンスの世界から切り上げる用意をはじめているのだ。
 もしも、私的な解釈を許して頂けるのであれば、エオーディアの永遠の逃走について、このように考えられはしないだろうか。「いつまでも冒険を継続しようとする」ロマンス形式の意志をないがしろにして、上演時間の切迫という極めて現実的な事情が、物語を寸断してしまうことへの弁明として、魔女は命を温存させられたのだという風に。つまり、いつでもまた、その気になりさえすれば、魔女は新たな悪を創造し、したがって冒険の口実が新しい騎士に用意されるという、森の中で演じられる物語の続行可能性を担保しておくために、エオーディアは逃走を許されたのだと。
 いずれにしろ、われわれは緑の舞台をあとにして、もう一度すり鉢状の客席を持った半円型劇場に帰らねばならない。騎士リッカルドが、ついに龍と対決をするのだから。

 

「ドロテア」(十) 大いなる龍と英雄の死につづく