人類は如何に神々として滅びるか

『自己が無視されることを無視するという彼等の英雄主義』

「ドロテア」(四) レストラン船

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 レストラン船

 

 ドロテア港より一隻の大型遊覧船が出る。初日の開場から、おおよそ一時間ほど遅れた頃合いである。公国劇場の大門は、十時過ぎには大抵開いているから、だいたい午の一時間前には、このレストラン船が出港すると考えてよいだろう。時間にゆるいとか、厳密でないというのは、ドロテア島では美徳とされるのである。
 ルーズであるということが称揚されるのは、何も時間に限ってのことではない。島外では普通、不道徳とされる行いが、公国内では間々、推奨される。遊覧船を娼館として営業する売買春もその一つである。一日に少なくとも二回は出港する通常のクルーズと、「リッカルドの船」と呼ばれ、ドロテア演劇の初日にあわせて週一回しか行われないクルーズの違いは、前者があらゆる階層の男性向けであるのに対して、後者が富裕層の女性向けだという事実である。
 乗客の本当の目的はともかく、「リッカルドの船」が表向き売りにしているのは、贅沢なコースランチと、食事を楽しみながら鑑賞できるドロテア演劇の一幕である。名称から分かるとおり、舞台にはリッカルドが登場する。外国人の役者は、リッカルドただ一人である。その他は、島民の仮面達が演じる。公国劇場の開演期間中、例外的にその敷地内を離れられる外国人の役者は、この時のリッカルドの他にはない。
 そのため、男性向けの遊覧船では女性客の搭乗が禁止されているにもかかわらず、「リッカルドの船」には男性客も乗船できる。ただし下船後に、そうと知った島民達から、悪質な嘲弄の言葉や、胸糞の悪くなる侮蔑を受ける危険があるので、その方面の趣味嗜好を持たない男性が、劇目当てに軽い気持ちで乗船するのはあまり勧められない。もっとも、男性のあなたが船内で好みの相手を見つけ損なっていたり、その場限りのパートナーとの営みに充分な満足を得られなかったり、あるいは、味わった甘美な悦びと陶酔が、なおいっそうの刺激を求め渇かせるほど体力を持て余していたとするなら、立ち止まってしずかに彼等の話を聞いてみればいい。普通の島民達は、金を落としてくれる観光客を訳もなく侮蔑するほど馬鹿ではないし、あなた方の人となり、わけても性的指向などには、はなから全く興味がないのだから。
 島民の男はあなたをからかい、もしくは脅しつけるきつい言葉を投げかけながら距離を詰め、体に触れそうなほど近寄るだろう。それから多分彼は、あなたを見定めるように眺めると、なおも差別的な言葉を使いつつも、目の前のよそ者が、本当に劇とランチ目的で船に乗った酔狂な馬鹿男かどうかを確かめようとする。態度はいくぶんか変わって、甘え囁くようであるか、きっぷのよい爽やかな素振りであるかは知らないが、いずれにしても、自分の魅力を見せつけるようであるだろう。この時も、客は無言でいるのが無難らしい。少なくとも気をよくしてべらべら喋りだしてはいけない。ただ黙って頷けばよい。そうすれば彼等は唐突に売値を口にする。交渉がまとまれば、男娼は一聞では商売と無関係だと思われることを口にするかもしれない。向こうの通りに旨いオムレツを出す居酒屋があるのを知っているかなどと聞くのは、焦らないでまずは食事をおごってほしいとねだっているのだし、こんな港よりも、タクシーに乗って五分も海岸線を走れば、素晴らしい景色が一緒に見られるのにとこぼすのは、そのあたりに馴染みで使い勝手のいいホテルがあると言いたいのだ。いずれにしろ場内の仮面をつけた娼婦などにくらべれば、完全に個人として営業している彼等のほうがずっと一見の観光客に優しい。
 しかし、われわれは酔狂な馬鹿者に属するのだから、ドロテア演劇の一部として上演されるランチショーについて、よりくわしく語りはじめるとしよう。
 観客席となるテーブルは、一つ一つの間隔がかなり狭く、人ひとり通るのがやっとだが、ゆったりとした革張りのソファに囲まれているので、席についてしまえば落ち着いて観劇できる。仮面をつけていないウェイター、ウェイトレスが運んでくれる料理は、皿の数と見た目が様になっているだけで、率直に言って味はそれほどのものではない。
 舞台は船の中央甲板部分を模して造られてある。船首側に観客席のテーブルが並んでいる格好である。照明は薄暗い。冒頭は、見ていて恥ずかしくなるくらい露骨な、シェイクスピア『あらし』の引き写しで、雷鳴と豪雨、荒れ狂い船体を叩く波の音が聞こえる中に、船長と水夫長を演じる仮面が現れ、互いを呼び交わしあう。注目すべきなのは、船長役がつけている仮面で、三角の目に、口は両端をつりあげるように刳り抜かれており、左へねじ曲がった大きな鼻を持っている。と言っても、船長役は観客に対して横を向いたり、背中を向けたりしがちなので、はっきり確認するのは難しいかもしれない。これはリッカルドの葬儀に登場する仮面とそっくりに作られてあって、二人は同一人物だと言いたいのである。現実の時間ではおおよそ同時刻に演じられるレストラン船での一幕は、宮殿前広場で演じられる葬儀より、少なくとも数日はさかのぼった話なのだ。
 『あらし』と同様、船長は船尾の方へ向かう体(てい)で舞台より姿を消し、代わりに数人の水夫が現れる。水夫長を交えた水夫の仮面達は、大波に乗り上げ船ばたを叩かれる度左右に揺れかしぐ甲板の上で、風にあおられ、雨と波しぶきに揉まれながら、帆綱を引っ張り、木の桶で船上を浸す海水をすくおうと、右往左往する。甲板が揺れるのは、仮面達の演技でそう表現されるというだけでなく、実際に電動で舞台が傾くのである。だから劇中、役者と仮面達は本当に、不規則に変化する勾配に翻弄され、甲板を踏ん張って耐えなければならない。誰かが足をとられて転倒し、傾いた舞台をすべって頭でも打ちつけると、観客は熱狂した拍手を送り、嘲りの歓声をあげるのがしきたりだ。中には喝采受けたさに、わざと甲板をすべり転がる仮面もいる。観客も心得ているので、仮面が故意に転倒したと判断した場合には、ブーイングや野次の声が飛ぶ。当然、喝采とブーイングが入り交じりもする。決まっているのは、転んだ仮面が舞台裏で仲間から冷やかされた時にとる態度である。喝采のほうが多ければ、「あれはわざとやったんだぜ」と誰もが答えるし、ブーイングのほうが多かったと思えば「俺は本当に転んだんだ」と憤慨(ふんがい)しているだろう。
 リッカルドが登場した後でも、シェイクスピアからの引き写しは終わらない。主に台詞を発するのは、引き続き舞台上にとどまっている水夫長と、リッカルドである。水夫長は、「あらしに登場する水夫長」の台詞から盗用された言葉を、臆面もなく口にする。リッカルドが下敷きにしているのは、「公位の簒奪者(さんだつしや)、前ミラノ公の弟にして現ミラノ公であるアントーニオ」の台詞である。唯一、リッカルドが別の人物(「ナポリの老顧問官ゴンザーロー」)の台詞から、あからさまに剽窃(ひようせつ)して喋る場面は、水夫長との次のような掛け合いに見られる。

 

水夫長 (リッカルドに向かい)次の王ともなられるという御方、そのご威光をもってして、どうぞ命令一下、嵐をしずめ、おだやかな凪(なぎ)に変えて頂きたい。それが出来ないというんなら、こんなところで立ちつくし、俺達の邪魔になっていないで、さっさと船室に引きこもり、娘っ子らがするように、神様にお祈りでもしているんですな。(水夫達にかけより)勇気をだせよ、諦めるにはまだ早い。約束の給金だって貰(もら)っちゃいないに、くだばるわけにゃあいかねえぞ。
リッカルド あの悪党を見ていると希望が湧いてくる。どう見ても溺死の相はない。人相からいって、斬首刑⑴が相応だ。おお、運命の女神様方、あいつが断頭台によって、今でも軽い首から上を、ますます軽くしてしまうまでは、その宿命の綱を我らの錨綱(いかりづな)ともさせて下さい。あいつがもし首刎(は)ねられる星の下に生まれついていないとなると、俺の立場はなんとも情けないことになる。
⑴ シェイクスピア『あらし』では、「絞首刑」となっている。

 

 水夫長は、種本の引き写しに肉付けをした脚本にしたがって、嘆き愚痴り、その間に水夫達を励ましつつ、リッカルドに向かって悪態をつく。リッカルドは水夫長を叱りとばし、罵り脅すが、自分は左右に傾く舞台の真ん中で均整をとっているだけで、帆を下ろそうとも、帆柱を倒そうとも、船上にあふれる海水を汲み出そうともしない。
 仮面の一人が『大波が来るぞ』と叫ぶ。船は今までより一層激しく傾き震え、仮面の幾人かが断末魔を叫びながら落下して消える。舞台上にいる者は皆、甲板に這いつくばる。なおも大きく揺れ続ける中で、水夫達は神に命乞いし、水夫長は酒瓶を取り出してワインをあおり、諦めの言葉を漏らす。リッカルドがそれを聞いて罵りわめいたその時──
 舞台上に強烈な照明が一筋差して、水夫達が『光だ』『太陽だ』『雲の切れ間が見えるぞ』と口々に叫ぶ。揺れは次第に収まり、かわりに明るい照明が幅を広げ、舞台すべてに行き渡る。『助かった』『生きのびた』と言って神々に感謝をささげ、泣いて抱き合い、いたわり合う乗員達の歓喜は、またすぐに打ち砕かれる。
 仮面の一人が『海賊船だ』と叫ぶ。水夫達は恐慌して意味もなく舞台上をかけまわり、一人泣いて甲板に額(ぬか)ずいていた水夫長は、転がっていた酒瓶をつかんで再びワインをあおる。リッカルドは水夫達を叱咤し、配置につくよう号令をかけ、剣をとって戦えと怒鳴り散らす。砲撃が交わされる大音響が観客の耳を聾する。船体が震動し、『火がついたぞ』という声が舞台裏からして、後幕が赤橙色(せきとうしよく)の照明で燃え上がる。
 観客が待ち望んでいた海賊達が、ついに舞台に現れる。後幕をくぐり抜け舞台裏から飛び出す。上手下手(かみてしもて)を問わずに舞台袖からも、わらわらと湧いて出る。劇場ホールと舷側甲板をつなぐドア(舞台上の、でなくレストラン船の、である)から出てきて、観客席のテーブルの中を走り縫い、舞台へ勢いよく跳び上がる。機に乗じて抜け目なく、婦人方に売り込みをかける者も少なくない。手をとって虚ろな仮面の口に導き接吻する。片膝ついて胸板や腕を触らせるままにする。衣装の胸に勝手に縫い付けたワッペンを示す。海賊の仮面は、舞台上での台詞が一切ないから、ここでも言葉を発しないのが、暗黙のルールではある。しかし、耳元で猥雑な冗談を囁いたり、世辞を並べたり、誘いをかけたりする者もいる。
 舞台の真ん中ではリッカルドが、右から来たのを斬り伏せ、左からのを突き刺して奈落へ落とし込む。前に後ろに斬り結んで、四方八方から打ち寄せる海賊達をなぎ倒す。水夫達はみな引っ込み、逃げ遅れた水夫長が、リッカルドの後ろで尻餅をついて、酒瓶を後生大事に抱えたまま逃げ惑う。英雄はなおも、果てを知らないかと思える海賊の襲来に一人で応戦し、剣を合わせ、時には殴り蹴飛ばし、銃弾を間一髪でかわすと、ナイフを投げつける。斬って斬って、斬りまくって、さらに斬っても、海賊達は次々に新しく現れる。いや、新しくというのは正確ではない。奈落に落ちた仮面がまた起き上がって、何度も舞台へ上がるのだ。英雄はいつまでも斬り殺し、水夫長は舞台の真ん中で斬り捨てられて動けない海賊をかついで海へ落とし、海賊は何度も同じテーブルの横を通って、感触よくおもわれる反応を返してくれる婦人に、自分を見定める特徴となるワッペンやスカーフやかつらを示してから、また舞台へ上がる。
 剣劇は最低でも十分以上続く。元々はリッカルドの勇猛さを見せるためであったのだろうが、いつの頃からか別の商売が幅を利かしだし、大っぴらに女性向けのクルーズだと宣伝するようになってからは、観客が品定めをする場になってしまった。そのため、主役のはずのリッカルドがあまり目立とうとせず、義務的に剣をふるう。海賊達は身を躍らせて派手に登場し、大げさな身振りで取り囲み、襲いかかり、斬られてからもさんざんに見得(みえ)を切ってから海へ落ちる。体操技が使えるものは、必要もないのに無駄に披露する。とんぼ返りしつつ奈落へ落ちて、腰の骨を折った馬鹿も過去にはいたらしい。とはいえ、今も生傷は絶えないし──むしろ客が悦ぶからと、わざと体に傷をつける仮面もいる──手や足の骨にひびが入るくらいは珍しくない。足首を折って倍の太さに腫(は)れ上がらせてなお、馴染みの婦人二人を、続けざまに相手した天晴れな海賊役もいたそうだ。
 水夫長が舞台裏へ引っ込んだのを合図に、海賊の仮面達は反復を終わる。ついに舞台に唯一人残った英雄が勝利を宣言し、残党はいないか、被害はいかほどか、早く火を消し止めろと水夫達に号令をかけながら退場する。後幕を赤橙色に染めていた照明が消える。英雄と入れ違いに姿を現すのは、二人の仮面である。

 

船長 お互い良く生き延びたな。あの海賊共、俺にまで斬りかかりやがって。その上、しっかり仕事はしくじりやがった。
水夫長 全くです。しかし、海賊共が仕事をやり遂げちまったら、今度は俺の命が危なかった。けれど心配には及びません。どさくさに紛(まぎ)れて、舵(かじ)を打ち壊しちまいましたからね。
船長 本当か? でかしたぞ。
水夫長 本当も本当、掛け値なしの真実ってやつでさ。もうこの船は駄目です。ずらかる用意は大丈夫なんでしょうな? さっさと逃げのびて、あんたの言うお偉いさんってやつから報酬を貰わなきゃな。俺の働きをしっかり報告してもらいてえもんだ。
船長 ああ、お前はよくやった。特別にここでも前もって、俺からの褒(ほう)美(び)をやろう。(水夫長の足元へ小袋を放り投げる)
水夫長 こりゃ、ありがてえ。(しゃがみ込んで、袋を開ける)何ですかこれは? 宝石かな? 俺にはただの石っころにしか見えねえが。
船長 こちらが本物の褒美だ、取っておけ! (言いながら、幅広の剣を思い切り水夫長の首へ振り下ろす)悪く思うなよ。俺のボートは定員が一人きりなんでね。

 

 船長が剣を振ると同時に、水夫長の胴体は倒れ、切り離された生首が転がる。当然生首はつくりもので、裏で着替えた水夫長は、頭の上にもう一つ、仮面がついた偽物の頭を載(の)せて登場しているというだけだ。注意深い、もしくは二度目以降に観劇する客ならば、水夫長の身長が突然伸びていることに気づけるはずである。船長は転がった生首を拾い上げ、首のない胴体に手をかけると、この時はじめて真正面を向き、観客達にはっきりと「顔」を見せる。死体を引きずって、生首と一緒に海へ投げ捨てる。
 船長が退場してすぐ『岩礁があるぞ』『舵を切れ』という水夫達の叫びが聞こえる。衝突をあらわす鈍い大音響が聞こえ、船は前後に荒々しく震動する。リッカルドが再び登場する頃には、舞台はしずかに傾き始めている。英雄はまた一人甲板の中央に立って──正確を期すれば、徐々に傾斜を強くしていく舞台で、片膝をつき、両膝をつき、最後には片手までついて、なんとか持ちこたえつつ──自らに与えられた宿命を呪う。背後に、次々と海へ投げ出される水夫達の悲鳴が聞こえる。今や、船は真っ二つに折り割られ、破滅の海に沈みゆく。リッカルドは最後の瞬間にもシェイクスピアの台詞をなぞって、転覆する船と共に、ゆっくりと下りる幕の向こうへ消えていく。

 

リッカルド すべては王共々に沈むのだ。

 

 種本からの引き写しの結果そうなったとはいえ、せいぜい王太子に過ぎないリッカルドが、ここで自身を君主として扱っているのは、興味深い事実ではなかろうか。彼は王位などに興味をしめさない、清廉(せいれん)な人であったはずなのである。
 幕が下りたあとの商売については、あまり詳細に描写するには刺激の強すぎる内容であるかもしれないし、本書の目的とはいくぶんずれを感じさせる事項であるから(これもまたドロテアの一部を確かに成している、という主張は認めるとしても)わが崇敬(すうけい)すべきご婦人方に有益なるいくつかの情報を付加するにとどめ、簡潔に語るとしよう。
 海賊だった仮面達は、最後まで仮面を脱がないで顧客に接するのが、一応の決まりである。「一応の」というのは、単にそうやって楽しむのが慣例であるというだけで、客の側が望めば、仮面達はこだわりなく素顔を晒(さら)してくれる。ただし、料金の交渉ができて、支払いが済んだ後でなければならない。金を払ってさえいれば、顔を見て断るのも客の自由だ。そのかわり渡してしまった金はびた一文返ってきはしない。
 相手が決まれば、劇場ホールの上階にある船室へ、それぞれ入っていく。しかし船室の壁は、そう厚くない。声量の多寡(たか)を気にする向きのある婦人には、搭乗前のチケット窓口にある、仮面の貸し出しサービスがおすすめだ。面紗、アイマスク、顔全体をすっぽりと覆えるものまで多種多様に揃っている。はじめから周囲に素性を知られず観劇していれば、気兼ねなしで発声もできようという配慮だが、貞淑な観客に対してどれほどの効果があるかは定かでない。左右に船室の並ぶ狭い廊下に立った経験があるという者の話を信じるならば、とにかく大変な盛況ぶりということらしい。

 

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