人類は如何に神々として滅びるか

『自己が無視されることを無視するという彼等の英雄主義』

「ドロテア」(三) 偽の葬儀

 「ドロテア」(二) 大使館

 

   偽の葬儀

 

 英雄と代理の王、すなわちリッカルドとクレオンが姿を消すと、広い道に通じる大きな門がついに開かれる。多くの島民と、多くの観光客が、公国劇場の敷地内へ、呑みこまれるように入っていく。
 ドン・アントーニオがこの道と正門を、新約の記述を参考にして造らせたかどうか、つまりアイロニーとしてわざわざ「滅びに至る門」を造らせたかどうかは定かでない。
 なぜなら、ドン・アントーニオは聖ジョルジアーノ大聖堂を建立(こんりゆう)するなど、ドロテア島の宗教に対して喜捨(きしや)を惜しみはしなかった奇特の人であると同時に、多くのドロテア島民と同様、いやどの島民にも増して不信心な、神を無(な)みする人だったからである。また、ドロテア演劇の主要な目的の一つが、公国民への娯楽の提供を通じた不満の解消と、衆愚を衆愚のままに保とうとする意図にあったと考えられるとはいえ、先にも述べているとおり、終身大統領にとって、公国劇場は自らが心酔するリッカルドの威光を水増しするための、輝かしく偉大な場所でもあったはずだからだ。
 こういう疑念や着想自体を、単なる考えすぎの産物にしか過ぎないと読者が笑い飛ばそうとも、私は一向に気にかけない。ただし、現在の公国劇場を沈黙のうちに支配し、暗渠(あんきよ)のように通底する原則には、なにか首尾一貫しないもの、曖昧というよりは相反する意向が反発しながら一緒くたにされているようだという感覚を、共有しておきたいとは思うのである。
 公国劇場の並外れて大きな正門は、西方に向かって開かれる。
 そのため、晴れた日には、敷地内へ向かう観客達の真正面から太陽が照らすのである。白銀色(しろがねいろ)にかがやくきつい日差し、潮風と共にドロテアの町を腐食させる容赦のない日差しが、門を通り抜け、幅広い道いっぱいを清い飴色に染めぬく。
 ことにも真夏、光のおびただしさから、太陽が近く大きく感ぜられる時、広い道をとおって大門をくぐり抜ける観客達は、巨大な光の塊に没入していくという「感動的な」経験を味わえるはずだ。
 公国劇場の敷地内に入るとすぐ目の前に、芝生が敷きつめられた宮殿前広場が広がる。本物のドロテアの町には、今も昔も存在しない広壮な広場である。
 門をくぐったばかりの位置から見て、広場の左手には、クレオンと、慣例によってエレオノールが共に寝起きをする宮殿がそびえ、斜め右奥には聖ジョルジアーノ大聖堂を模した教会の正面玄関が確認できる。とはいえ、敷地内外二つの教会の建築は同時期に行われたのであるし、宮殿と広場同様、英雄リッカルドが活躍したという時代には、あれほど立派な教会が島にあったはずはない。
 宮殿前広場と正門出入り口を画する石畳の道を、右手へゆるやかに下っていけば、実際そうであったはずのものよりも、はるかに見目よく小綺麗に「再現」されている、かつてのドロテア島の町並みを歩くことができる。石畳の舗装が行き届いている敷地内の町中とは違い、劇場外のドロテア島では現在でも、白ぼけた砂埃が舞う、踏み固められただけで土がむきだしな「国道」が、そこここに見受けられるのだ。
 石造りの家が建ち並ぶ往来を、木彫りの仮面をつけた島民の演者が行き来する。仮面達は決められた時間に決められた場所へ移動し、決められた相手と世間話をしたり、町角でギターをかき鳴らしたり、喧嘩をふっかけたり買ったりし、あるいは愛を語り合う、ふりをする。
 鍛冶屋に革屋に船大工といった職人仕事を模している者もあれば、店先に魚や野菜や肉を並べ、商いに精を出している態(てい)を装う仮面もいる。彼等の持ち場である商家風の建物には、「非売品」とか「ここで買い物はできません」と書かれたステッカーが貼られてある。
 わざわざ「非売品」と明示している物があるくらいだから、当然その反対に「売り物」を置いてあるショップもある。クッキー、チョコレート、キャンディ、グミといった菓子類から、キーホルダー、ストラップ、ぬいぐるみ、ジグソーパズル、マグカップ、スカーフ、タオル、ハンカチ、Tシャツ、ペンやノートといった文具類まで、とにかく土産になりそうな物ならなんでも節操なく取りそろえてある。
 アパレルショップで近世風の衣装を購入すれば、その場で着替えて場内を散策できる。残念だが、レンタルサービスは扱っていない。公国が求めターゲットにしているのは、気前のいい富裕層だからである。
 少々割高な料金さえ払えば、郷土料理を中心にしたメニューが並ぶレストランで、まずまず満足のいく食事をとれるし、酒場に行けば水で割らないワインのほかに、ウイスキーやブランデーといったアルコールを楽しめる。ドロテア島には、ただの水やコーヒー、紅茶を飲料とする習慣がなく、幼い子供から老人にいたるまで、水で割ったワインかエールビールを飲む。
 ドロテアでは、その二つはアルコールとは見なされていないからである。アルコールを扱っていないと知らずに、公国劇場内のファミリーレストランで親切なウェイターにワインを注文したならば、「ここでは酒はやってないんです。これで我慢して下さい」と言ってワインの水割りをグラスに注いで出してくれるかもしれない。島の車道の総延長、交通量に比して、事故数がやけに多いのは、まず偶然ではない。お節介な外国人が島民に指摘をしても、大らかな彼等は「問題ないさ」と笑ってすませてしまうだろう。
 ラガービールは排斥といってよいほど敬遠されていて、あなたが高級ホテルや高級レストランに縁のない一般観光客ならば、夏の盛りであっても我慢するほかない。金があれば別である。島では金さえあれば、たいていの事が解決する。もっとも、これはどこの国へ旅をしようがある程度まで普遍的に適応される原則かもしれない。ドロテアでは、少し露骨にその傾向が認められるというだけなのだ。
 初めて訪れた外国人は異様に思うかも知れないが、これらの店で最も特徴的なのは、店員までもがすべて仮面をつけていることだろう。モブ役の演者とは根本的に違うはずの、愛想のよいショップ店員も、世間話に応じてくれるバーテンダーも、マニュアルに沿った接客をするウェイターも、ウェイトレスも、目と口の部分に空ろな穴を三つあけた木彫りの仮面を装着している。
 レストランの厨房にいて、観客の目に触れないコック等であれば必要はない。しかし、彼等であっても、フロアに顔を出したり、開演時間中に店外へ出る際には、仮面をしなければならないのだ。公国劇場に雇われているスタッフの中で、観客に顔を見せてもよいのは、外国人の役者に限られているのである。
 場内でのマリファナの購入と摂取、売買春に関しては、ここでは割愛する。これら二つの商取引は、ドロテア島全土で広く行われているものであり、公国劇場に特有のものとは言えない。少なくとも表面上は、個人が勝手な営業をしているのだから、公式に劇場が運営している商店とは、性格がかなり異なるのだ。どうしても仮面をつけた私娼に興味があるならば、現地を訪れて自ら調査してもらうのが最良の方法である。ただし、表にいる仮面へ手当たり次第に声をかけ、口説き交渉しようという直截な方法では、場外へ叩き出されるのが落ちであるだろう。どのような花街であっても、花街であるからには、何かしらのしきたりが在るということは理解いただけるはずだ。
 公国劇場の内部へと歩みかけた足を踏みとどめ、われわれはもう一度、あの途方もなく大きな門が口開けている場所までもどろう。宮殿前広場では、すぐにもリッカルドの国葬が行われようとしている。
 正午。教会から歌声が聞こえてくる。
 歌声は少しずつ大きくなる。広場に届けられる聖歌隊の声量は、スピーカーによって調整されているからである。
 少年達が歌うラテン語の歌詞が、「悲しみの聖母」の一節だと分かるほど力強くなる頃には、てんでんにやってきた仮面達が、不規則に並びながらも、ゆるやかな垣を芝生の上へかたちづくる。観客は、この一般民衆を演じる仮面達に入り交じって垣を補強し、したがって自らも英雄の葬儀に立ち会っているかのような距離で観劇することができる。
 大聖堂の扉が開かれる。二柱の尖塔の間にぽっかりと暗闇が口をあける。「Amen」がくり返し唱えられ、歌声が響き渡ったのちに静寂がおとずれる。
 鐘が鳴る。鐘が鳴る。
 鳴り渡る鐘の音にうながされ、開け放たれた聖堂の門から、葬列が姿を見せる。薄暗い陰の中から、今はじめて生まれ出るように、一人一人が現れる。空ろな棺を運ぶ仮面達が列をなし、広場に町に、大聖堂の乾いた鐘の音が冴え返る。
 先頭を三、四人の侍者が、純白の祭服を着て歩く。人数が確かに述べられないのは、語り手の記憶力の問題ではなく、その日に確保できる演者の数がまちまちであって、つまり、その点杜撰に管理されているからである。侍者は聖具を、すなわちトーチや香炉を掲げて歩く。けれども、十字架は持たない。
 ドロテア演劇の設立当初は、十字架が掲げられていたものらしい。ドン・アントーニオは、代わりに王権の象徴として、捏造した「神々より下されし宝剣と王冠」を持たせるよう命じた。不信心を自負する独裁者の目には、葬列を十字架が先導する絵が、あまりに敬虔すぎると映ったのだろう。前に記した註にある通り、十字架をつけた宝珠も廃止されたと考えられる。
 侍者の後ろには、牧杖(ぼくじよう)を持ち司教服に身を包んだ仮面が続く。この役には「教会の脚本家」もしくは「神父の脚本家」などと呼ばれる、教会に(というのは当然、劇場外にある「本物の」聖ジョルジアーノ大聖堂のことである)勤める脚本家が選ばれるのが慣例だ。もちろん教会に勤める脚本家がいない場合は、別に選ぶほかない。
 神父の脚本家に続くのは、鎧をまとった二人の騎士で、それぞれ槍と鉾(ほこ)を手にしている。
 英雄の棺は黒い絹布に覆われている。
 空ろな棺を運ぶのも騎士の風采をした仮面達で、演者の数が充分な場合には、両側に四人ずつ、計八人が配置される。そうでない場合は、六人であったり、四人だったこともある。比較的重要であったり、固定した役を受け持っている常時雇用者はともかく、臨時の契約しか交わしていない仮面は、出入りが激しい上に、自由を愛するドロテア島民の気風のために、例えば雨が降っているというだけで、なんの連絡もなく、平気で仕事を休むのである。もしくは勝手気ままにレストラン船での上演の方に行ってしまうのである。
 リッカルドの腹違いの兄、摂政にして国葬の喪主をつとめるクレオンが、王笏を握り、棺の後ろをついていく。彼が葬列の一番初めに登場する「本物の役者」、すなわち仮面をつけない外国人の役者である。喪装にしては不自然に美々しい姿は、悪役としてのクレオンの性格を際立たせたいという演出であるのは間違いないが、同時に暗色一辺倒の衣装をまとった葬列の中で、観客に一目でこの場の主役を見分けさせるのにも役立っている。
 摂政のあとには諸侯が、諸侯のあとには大臣や将軍といった高位の廷臣が連なる。仮面達に混じって、フランシスクや将軍アイヤックの顔なども垣間見られる。白いローブを着た少年聖歌隊、軽装の兵士、文官と続く列の最後尾付近には、肥満体を持て余すルゴリオーが確認できる。
 葬列が踏みしめる芝生に真昼の影は短い。肌を焦がし、産毛を焼き縮らせるかと思わせる盛夏の炎天下であれば、ますます短く、そして色濃い。誰もが、噴き出す汗で濡れた衣に手足をとられ、鎧をつけた騎士役の足取りは重々しい。内側は水を浴びせられたようになっているはずの仮面だけが、平生(へいぜい)と変わらない無表情を保つ。身の内を流れる血液も煮え立つような酷暑に、萎(しお)れ傷(いた)んだ草木のように力なく歩く葬列の中、ことにも目を引くのはルゴリオーの呻吟だろう。分厚い襦袢(じゆばん)をぐっしょりと濡らし、汗だくの顔を仮面で隠しもできない彼は、どんなに辛抱強い役者が演じていても、苦しみを全く表にあらわさないではいられない。その様子を見て、島民の観客達がはやしたて、野次を飛ばす。葬儀には相応しくない騒ぎだが、これもルゴリオーが人気役であるという証の一つである。それが証拠に、不興を買い、支持を失ったルゴリオーには、彼がどんなに汗を流し、苦しみ喘いで目を回していようとも、島民達から一言の声もかからない。
 春には駘蕩(たいとう)とした陽気の中を歩く葬列は、秋には冬芝の種をまくため短く刈り揃えられた芝生の上に、冬には燻(いぶ)されたような乳色にけむる曇り空から届く灰色の光によって、それぞれ一日のうちで最も短い影を、濃淡さまざまに生じさせる。
 宮殿の真正面に台座が用意されている。葬列はこの棺台(かんだい)を中心にして、左右に分かれて並び直す。騎士達が棺をすえ置く。クレオンは一人棺の側に立って、民衆に向かって呼びかける。 

 

クレオン 私に何が語り得ようか、ドロテアの人々よ。この思いはあなたがたと一つであるのに。どんな言葉を選び得ようか、若く才走る詩人でさえも口つぐむ災いの日に。ただ目の前の悲運に心砕かれ、女のように胸を叩き、髪ふり乱し頬かきむしる訳にもいかず、王の名代にふさわしくあるよう苦痛を堪え忍ぶばかり。
 兄王クレオルの突然の崩御に続いて、弟までもが忌まわしい運命に見舞われようとは! われらの期待を裏切って、はかなく海の藻屑として果てようとは!
 血のおさまらぬ新しい傷の上を、再び刃にえぐられるような痛みではないか。喪装の上にもう一枚喪装を重ね着し、二重に忌中(きちゆう)の日にちを数えねばならぬとは!
 弟よ、リッカルドよ。空(から)の棺でお前を送らねばならぬ兄の情けなさを分かってくれ。せめても、私の分身を納めて、わが悲しみと、お前の無念、二つを癒やす、よすがとしよう。(短剣にて髪を切り取り、棺に入れる)
(左右の隊列から数人の仮面が進み出る。王族の婦女と、諸侯の妻女、くわえて観客と一緒に垣をつくっていた民衆役の仮面の中からも、女達が数人歩み出て、ひとかたまりの隊列をなす)
葬儀に集った女達のコロス お聞き下さい女達の歌を。力は劣るかよわき身、まして、まつりごとに口差し挟むは、分に過ぎたる行いであっても、我らもまたドロテア人のうちなれば、王ともなるべき方の死を、嘆(なげ)き悼(いた)むは、まことに道理にかなった行いのゆえ。古くより泣き女の習わしはあれど、すでに涙は涸(か)れ果てたれば、代わりに、この歌によって嘆き悲しみ、この歌によって悼(いた)み弔(とむら)おうと思うゆえ。


(コロス歌う)心猛(こころたけ)き者らぞ、われらが祖先は
海神の覚えめでたく、処女神の庇護は厚く⑴
技のたくみな大工によってうつろに刳(く)った船⑵に乗り
真黒く塗られ、帆柱(ほばしら)太く、竜骨(りゆうこつ)は堅い船に乗り
葡萄酒色にかがやく海を渡った、心猛き者らぞ
帆布(ほぬの)の広いキャラベルにて強風を操り、櫂架(かいか)の多いガレーにて荒波を漕(こ)ぎ越えて⑶
海戦では卑しい賊徒を打ち破り、未踏の島に金、銀、青銅を掘り出して
はるばると祝福の土地までたどり着いた、われらが祖先は

しかれども、なにゆえにゼウス⑷よ
尊い血筋をひくドロテア人の、中でも神とも見まごうリッカルドが
われらドロテアの女にとって わが子のように愛らしく
わが弟のように、行く末のたのみと思った御方(おかた)が
いずれ、われらの父とも兄とも慕われる、偉大な王となるはずだったリッカルドが
こともあろうに、海に命を捨てるとは、海がドロテアを裏切るとは

大地をゆるがすポセイドーンよ かの人はヒッポリュトス⑸にあらず
きらめく眼をしたアテーネーよ かの人は足の速いアイアース⑹にあらず
なにゆえに神々は英雄をよく妬(ねた)まれるのか
陽は沈み、星は落ち、ふたたび天に架かることを知らず
波は呪われた勲(いさおし)に立ち騒いで
われらにとっては嘆きの種を、誉(ほま)れと⑺するか、得々として荒れ狂う

もし、あの御方が生きていて、苦難の後に無事に帰ってくるのであるならば
ペーネロペイア⑻がそうしたように、空しい機織り⑻もやさしい試練
われらは願い、信じるのです
暗い喪服に身を包み、うつろな棺を送り出す今もなお
やがてはリッカルドが帰国を果たすよう
海はドロテアを裏切るまいと
⑴ 海神、処女神はそれぞれ後出のポセイドーン、アテーネーをさす。 ⑵ 以後、船や
海に関する表現には、『イーリアス』『オデュッセイア』からの引き写しが多く確認できる。
⑶ キャラベルは帆船の一種、ガレーは櫂船。 ⑷ ドロテア演劇の登場人物は、ギリシ
アの神々に呼びかけるのが普通である。 ⑸ アテーナイ王テーセウスの子。継母からの
求愛を斥け、彼女は自殺。遺書の讒言を信じた父は、ポセイドーンに願い息子を殺させた。
⑹ トロイア戦争、アカイア側の勇士。小アイアース。トロイア陥落の際、祭壇にてアテ
ーネーの像にすがるカッサンドラーを犯した。帰国の海路でアテーネーのおこした嵐にあ
い、自らの傲慢により、神々の怒りを買って海中に没した。 ⑺ 『イーリアス』第三巻
より「彼には名誉と、私達には嘆きともして」 ⑻ オデュッセウスの妻。夫の留守中、
横暴な求婚者達に言い寄られると、舅の棺衣を織るまで待つよう説得し、昼縫った糸を夜
ひそかにほどいて時間を稼いだ。

 

 あの新しいルゴリオーが、はじめて劇場内に足を踏み入れたその日その時も、ドロテア演劇の初日、ちょうど宮殿前広場において、リッカルドの偽の葬送が演じられている最中だった。
 ルゴリオーはこの日も青い薄手のブルゾンを着ていた。雑味ある潮の香りにまじって、雨あがりの匂いがした。かすかに湿ったままの石畳が、うっすらと灰色味を帯びていた。
「あれがルゴリオーですよ。見えません? ほら、あの奥に」
 劇場職員の女が、ハイヒールのかかとを浮かせて、コロスの向こうを指差した。仮面をつけた代役のルゴリオーが、場の片隅で、綿で膨らませた腹を突き出していた。
 新しい役者のルゴリオーは、仮面のルゴリオーを見つけたあとに、職員の女をなにげなく眺めた。仮面のかわりに黒い面紗(めんしや)で顔を隠していたが、どことなく心浮き立っているような様子だった。彼女は、ルゴリオーが大使館を訪れた際に、受付にいて待合の部屋まで案内してくれた、無愛想な職員だった。腰高なくびれを強調するような、体にぴたりとした灰色のスカートスーツを着ていた。
 ルゴリオーは、自分が役者に採用される前と後とはいえ、女があれほど親切で明るく接してくれるようになったのは不可思議だったと、いつか私に話してくれたものだが、思うに彼はあまりに世間ずれしていず、またドロテアの島民についても無知だったのである。
 ただ単にこの職員は、男振りでも資産でも地位や名声でも、価値があると思った男には、とことん媚びてみせる割合凡庸な女だったに過ぎない。ただし彼女は、将来価値を高めるかもしれない男相手には、愛想をふりまいておいて損か得かを検討する頭さえ持っていなかった。知性のともなわない肉体にも、健康と美しさが備わりうるのである。
「ちょうどお昼ですから、先に食堂にご案内致しますね」
 弾むような声にうながされ、ルゴリオーは女の後ろについて歩きだした。足を踏み出してから、軽く広場をふりかえった。
 クレオンはコロスの歌を聴き終えると、今度はそのコロスに向かって語りかける。リッカルドの死を受け容れようとしない女達の目を、未来に向けさせようとする。未来とはすなわち、摂政から王に即位したクレオンが治めるドロテアのことだ。
 主に応答するコロスの長は、仮面をかぶっているが、基本的には、仮面達(つまり島民の演者)が演じはしない。出番の少ない役についている外国人の役者が、仮面をつけて、持ち回りで務めるのである。

 

クレオン 身持ち正しく賢い婦人よ、気立てのよくて清らかな乙女よ。うつくしいドロテアの女達よ。その嘆き、その悲しみはもっともなれど、無益な願いにすがるのは、死者への慰めにならず、いたずらに亡者の魂をさまよわせるのみ。
コロスの長 クレオン様、道理にかなったお言葉ですが、亡骸(なきがら)もなく、空の棺を送るでは、かの人の死は認めがたく、ましてわれらは、情(じよう)濃(こま)やかなドロテアの女なれば、詮無いこととは思いつつ、わずかな望みにすがるのです。
クレオン 否定したいのは私とて同じだが、これは信義に堅い弟の部下が報(しら)せてくれた間違いのない事実。これ、それに違いないな。
(葬列より一人の兵士進み出る)
兵士 確かに相違ございません。この目ではっきりと、リッカルド様が呪わしい大波に呑(の)まれ、没する様を確認致しましてございます。主君を救えず、おめおめと自分のみ生き残ったは許されぬ罪、もとよりこの命助かろうとは思っておりません。

 

 この兵士がつけている仮面は、他の仮面達がつけているものと違っている。ドロテア演劇に登場するモブ役や端役は、かつらや衣装は様々であっても、通常、皆一様に無表情な仮面をつけている。二つの目に、一つの口の、三つの穴を楕円に刳り抜いた、かなり簡素な木製の仮面である。しかし、リッカルドの部下として登場するこの兵士の仮面は、二つの目をつり上がった三角に、一つの口の両端もまたつり上がるように穴を刳り抜かれ、顔の真ん中に取りつけられた大きな鼻を、左へ大げさにねじ曲げられているのである。

 

クレオン そう言うな。お前の能力と献身は周知のところ。誰も責める者などありはしない。むしろ、兵士の鑑(かがみ)であるお前は、必ずや新しいドロテアにおいて、今より高い評価を受けるであろう。
兵士 もったいないお言葉、ありがたく存じます。(葬列にもどる)
コロスの長 知ってはいても、改めて耳に入れるには辛い知らせ。リッカルド様が亡くなったとは。このように喪服を着てさえ信じられぬ思いだったものを。ああ、只(ただ)今(いま)この時より、完全に望みは絶えました。
コロス 明日よりは、われらドロテア人の心の内に、太陽は昇らず、身の内に暖かい血液は通わず。世界は死して、氷のように冷たかるべし。
クレオン 絶望するな。希望を捨ててはいけない。誰より辛いのは、肉親を、血を分けた兄弟を続けざまに失ったこの私なのだ。それでも、この国を思い、この国の人々を思って、自分を失わぬよう身を持し、与えられた仕事を全(まつと)うしようとしているのだ。
コロスの長 けれどもどこに希望がありましょう。クレオル王に続いて、その跡をつぐべきリッカルド様を失った私たちに。
クレオン 希望は未来を信じようとする態度のうちにある。野を焼きつくす大火のあとにさえ、よくよく注視すれば、焦土を破って顔を出す新しい芽を見出せるではないか。これまでに数多(あまた)の賢人、勇士を生み出したドロテアに、彼等の子孫たるドロテア人の中に、人なしと速断するは愚かなこと。
コロスの長 どこにいるものでしょうか、その賢人は、その勇士は。彼こそは新しい希望、新しい世界の救い主。教えて下さい、その人の名を。
コロス 教えて下さい、その人の名を。
クレオン 今ここで私が誰かの名を挙げれば障(さわ)りもあろう。妬(ねた)み嫉(そね)みが禍根(かこん)となるはたやすいこと。言えるのは、真に優れた人物は、能力におごらず、つつましやかで、案外身近な場所に埋もれているということだ。
(フランシスク、葬列から一人離れ、独白する)
フランシスク なんと恥知らずな! あの男は、自分の名を呼んでもらいたくてうずうずしているのだ! しかし、三本の枝のうち二本が折れてしまえば残るは一本。ああ、この頭の働きが止まればいいものを。いとわしい未来を見通すだけの力の、呪わしいほかに何になろう!⑴
⑴ ソポクレース『オイディプース王』中、テイレシアースの台詞「知恵がなんの役にも
立たぬ時に、知恵を持っていることのなんと怖ろしいことか」参照。

 

 ルゴリオーは、面紗で顔を隠した女が揺らす尻の、ななめ後ろをついて歩いた。勾配のゆるい坂をくだる。水気をふくんだ石畳を踏んで、町の奥へと進んでいった。
 店先に出ている仮面の一人が、離れた二人に向かって、度外れな声で呼びかけた。
「あんた、新しい役者だな。てえことは、ルゴリオーのほうだろう? 期待してるよ」
 驚いたルゴリオーは頷(うなず)くことしかできなかった。職員の女が、面紗をとおして仮面を睨みつけた。睨まれた仮面は、それきり黙ってしまった。感情の読み取れない木彫りの顔を、大声をはりあげる前と後でも変わらずに、二人の方へ向けたままだった。
 場内のはずれ、左右に民家風の家々が並んだ道のつきあたりで、女は立ち止まった。窓が一つもない、あまりに簡素な、土蔵のような建物が目の前にあった。扉には、関係者以外の立ち入りを禁じるステッカーが、わずかに斜めになって貼り付けてある。劇場内にいくつかある、スタッフ用の敷地へつながる通路の一つだった。
 建物の中は物置になっていて、暗く、埃くさかった。屋外用に使われることがある木製の簡素な椅子が、今にも倒れそうな危うさで、乱雑に積み上げられていた。観光客の数が多い日には、彼等が座れるよう、またそれ以上前に出さない仕切りの役目として、この椅子が並べられる。ただし、劇場職員が面倒がって怠(なま)けてしまった時には、ここに積み上げられたままである。
 他にも、雨や日光を防ぐために時折設置される、屋根形テントの金属ポールとシートが置いてあった。家具、衣装、剣や盾、ランプ、木製のオール、その他一目では何なのか判別がつかない雑貨の数々、以前に一度は使われたはずの小道具類が積み重なって、互いを痛ませ損ないあっているのだった。
「足元に気をつけて下さいね」と女が言いかけた瞬間、ルゴリオーは蹴(け)躓(つまず)いて、女に触れそうになった手をあわてて逸(そ)らせると、ひと掻(か)き、ふた掻き、中空でもがいた。面紗の女が、口を開けずに高音の忍び笑いをもらした。
 椅子にテント、それから小道具の山に左右から迫られ、自然にできた細い通路で、ルゴリオーの足がひっかけたのは、幾枚かの使い古された仮面だった。無造作に置き捨てられていた仮面は、傷がついたり、欠けていたり、紐(ひも)が千切れたままになっていたりした。
「いいですよ、そんなのは放っといても」
 かがみこんで、散らばった仮面を拾おうとするルゴリオーを女の声が制した。遅れて、裏口の扉が開かれた。腰をまげていたルゴリオーは、ほとんど目を閉じてしまった。薄曇りの日であっても、暗い屋内に差しこむ外光は、そんなにも眩しいのだった。
 景色が一変する。石畳はきれいに消え失せて、土の白さ一色が支配する。ごみごみした印象がする石造りの家々は一軒も見当たらず、視界が開けて、広々とした空を見られる。
 職員の女が面紗を外した。前方には、背の低い平屋の建築が並ぶ。劇場職員、仮面達、役者といったスタッフ用の施設だ。外見は工場のように素っ気ない。大きな窓が並んだ食堂棟だけは、見た目にも明るく、いくらか開放的だ。
 客が役者だけに限られる夕食はともかく、仮面達や職員から、たまにやってくる脚本家にいたるまでを相手にする朝昼の献立は、かなり単純で質素である。トウモロコシのパン、レンズ豆、ジャガイモといった主食に、簡単なスープと、ソーセージかベーコン、でなければ羊か山羊の乳でつくった匂いの強いチーズをつければ、それでおしまいだ。夕食であれば、非売品として劇場内の店先に並べていた、鮮度を失った肉や魚や野菜を使えるので、副菜はずいぶんましになる。
 どちらにしても、劇場外のレストランもふくめて、公国内で金をかけずに旨い料理にありつこうなどというのは甘過ぎる考えだ。確かに様々な国と地方をルーツとする人々から成るドロテアでは、各国風の料理を楽しめはする。しかし、よそ者(島民は観光客をそう呼ぶ)の金持ち連中が集まる高級レストランや、レストラン船などは抜きにして、普通われわれが口にするのは、せいぜい各国料理のしがない寄せ集めにしか過ぎない。
「向こうへ行きましょう。そっちは仮面が座る場所ですから」
 だだ広い食堂は、自然に、しかし歴然と、仮面をつける島民の演者がつくテーブルと、外国人の役者がつくテーブルに線引きされてしまっている。脚本家を含む劇場職員は別として、同じ舞台に立って芝居をする仮面達と外国人の役者は、食堂棟で同じテーブルを囲もうとはしないのだった。まばらで漠然とした視線が、新入りの役者に集まる。ドロテアにやってきた役者の誰もが、自分を異物のように感じる時間だ。けれども新しい役を勝ち得た身にとっては、さほど不快でもないはずである。
 プレートを運ぶルゴリオーは、女の肩越しに、顔見知りを発見した。より正確には、見覚えのある後頭部に目を留めた。襟足(えりあし)から耳周りを短く切り揃えた、きれいな白髪頭だった。ルゴリオーは間投詞(かんとうし)を短くもらした。職員の女が振り返る。白髪の紳士が振り返る。立ち上がって、握手をするには相手の両手がふさがっていると知ると、紳士は代わりにルゴリオーの上腕を二度、軽くたたいた。
「あなたも受かったのですね。私はクレオンです。どうぞよろしく」
「そうですか。僕はてっきり……」ルゴリオーは危うく言いかけた『あなたは落ちたものだと』という言葉をのみこんで、左右を見渡してから「ここ構いませんか?」
「どうぞ」
 ルゴリオーはクレオンの隣にプレートを置くと、向き直って握手を求めた。新人役者同士、固く手を握り合う。
「こちらこそ、よろしくお願いします。僕は、その、……」ルゴリオーは思わず彼の元の名前、本名を言いそうになって口つぐんだ。ドロテアでは、劇場に出演する外国人の役者は皆、私生活でも役名で通すのである。本当の名前は忘れられ、公国に滞在する間は、捨て置かれる。たとえ恋人であっても教えないのが暗黙のルールであり、誰もが、聞かされることを忌み嫌う。
「……そう、僕は、ルゴリオーというんです」
「ええ、知っていますよ。私は昨日着きましたから、ルゴリオー役が今日来ると聞かされていたんです」
 クレオンが椅子に座るよう促した。
「じゃあ、私はこちらに」職員の女が、クレオンの真向かいに座った。
「もうラウラとは会ったのかしら?」先からテーブルについていた、とうの立った小太りの女が、ルゴリオーに話しかけた。「不幸な」もしくは「悲しい」と形容されるエレオノールだ。エレオノールは話しかけただけでなく、ルゴリオーの返事もまともに聞かないで、喋り散らした。「そう、まだなの。えっ? じゃあ、あなたは着いたばかりで、すぐ食堂に来たってわけね。スマートに見えるのはいいけれどねえ。あなた、ルゴリオーなのに、そんなに食い意地がはってちゃ駄目よ」
「もう午(ひる)を過ぎていたので、私が案内したんですよ」
 職員の女が横からたしなめた。が、エレオノールは一向に気にする素振りなく、思いつくまま言葉を口にし続けた。
「あら、そうなの? そうよね、いくらルゴリオーだからって、断食までする必要はないんだもの。何にも食べないんじゃ、遅かれ早かれ、死んでしまうわ。神様だって、アムブロシアーとネクタールを召し上がるんですものね。ルゴリオーだって、私たちと同じくらいには、食べていいはずよ。でも、私と同じくらいじゃ食べ過ぎかしら? これでも減量だってしてるんですけどね。いつも昔式に、デーメーテールとペルセポネーの女神様に誓いをたててね。でも、ほら『舌では誓っても』胃袋では誓いはしないって風なのよ、私の場合」
 このエレオノールは、「明るい」ということを「うるさい」と混同している節があった。とはいえ、どのエレオノールにも、こういう傾向は垣間見えた。エレオノールは、錆(さ)びついた鈴を転がしたような声で笑い、笑い声をあげながら同時に、のべつまくなしで喋り立てるのだった。彼女達はまるで、不安に駆られ、話し笑い続けていなければ、運命の女神に見放されると信じてでもいるかのようだった。
「でも、ラウラとはすぐに会わなきゃいけないわね。二人は一緒に住むんですもの。一つ屋根の下でね。だってそういう決まりなんですから。聞いているでしょ? じゃあ、そのことは承知済みなのね。承知しようがしまいが、関係ないんだけれど、だってそういう決まりなんですもの。家がある役の人はね。私にはないんだけど、私と父親役のフランシスクにはね。それからリッカルドと、ミュネーシケーやエオーディアなんかの森にいる役者にはね。だから、私たちは劇場内ならどこで寝たっていいの。でも、宮殿で寝るわね、いつも。私にはないはずの家を用意してくれているんだし、宿泊棟で寝るよりずっといいんだもの。だからって、クレオンとどうにかなっていたって訳じゃないのよ? もっと若かった頃ならともかく。大体クレオンってみんな紳士でしょ? 私だってもうこんなにおばさんなんですものね。だから、新しいクレオンのあなたも一緒に住むからって、心配しなくっていいのよ? ルゴリオーとラウラじゃあるまいし。そうだ、一緒に住むと言えば、ジム、イライザは今日はどうしてるのかしら? いつも、おとなしくって、いても、いないようなものだけど、今日は本当に見かけないのよね」
「仮面役で出ているんだろ」
 ジムは素っ気ない態度で答えた。答えてすぐに、「何でもない」ジム、または「そうだろうねの」ジムは、煮詰めたレンズ豆をスプーンですくって口に入れた。彼は、ふかしたジャガイモより、豆類を好んだ。衣装でいる時以外は、毎日同じデザインの地味なポロシャツを色違いで着て、カーキかベージュのチノパンツをはいていた。
 劇中のジムは、イライザの夫であって、それでしかない。彼が舞台上で話す台詞は、空気のように意味がない。どの登場人物の助けにもならない代わりに、当たり障りがなく、毒にも薬にもならない存在である。ジムは、気位の高い妻に答えて何度もこう言う。『ああ、そうだろうね』と。彼に意志などありはしない。ただいつも妻にあなどられ、一言何か言おうとすれば、十も二十も返されて言いくるめられてしまう。「虐げられる夫」である。良く言ったとして温厚なだけが取り柄の、何の面白味もない役なのだ。
 それまでジムを演じてきた役者達は、島民の歓心を買って職を守るべく、舞台をおりた実生活上で、さまざまな型破りをやってのけた。酒、女、喧嘩、博打、その他、とにかく人目につく支離滅裂な振る舞いならなんでもという無節操さで。しかし、彼等は役者としていずれも短命だった。
 いつもポロシャツを着てチノをはき、豆ばかり食べているジムは、その点彼等と違っていた。ジムは舞台をおりてからの努力を一切放棄しているようだった。万事につけて人並みから外れない生活を規則正しく送り、会話においても必要最低限のごく真っ当な受け答えしかしなかった。傍目(はため)からは、「何でもない」ジムの役を失うのをただ待っているようにしか見えなかった。
 とはいえ、こういう役者は例外中の例外だった。例えば「寝取られ男」「屁をする腰抜け」という愛称をもつジャックは、二人の新入りに軽く挨拶をしたかと思うと、もう職員の女に話しかけ、かなり露骨に誘いをかけていた。シャツの胸元を大きくはだけさせるだけでなく、普段から、ひじの上まで袖(そで)をまくりあげていた。暇(ひま)があればトレーニングに精をだしていて、鍛(きた)えた筋肉を見せたいのだろうが、わりかし肌寒い秋の終わりに、Tシャツの袖を肩までまくっていた姿は、多くの失笑を買った。笑われても彼は気にしていなかった。むしろ満足をしていた。それは、ジャックが女とみれば(ただし劇内で結ばれるラウラだけは除外して)見境なく声をかけるその時に、相手に乗ってくる素振りがあるか、落ちる可能性があるかということを、本当には気にしていないのと同じだった。ジャックは、まわりに男しかいない場合には、亭主持ちの島の女と関係を持ったという話ばかりしたがった。だから、ジャックの話は、彼がどのようなジャックでも──学歴が高かろうが、雑学に詳しかろうが、数多くジョークや小話を知っていようが──男にも女にもつまらないと思われていた。
 しかし、灰色のスーツを女らしい体にぴたりと着こなした職員の女は、ジャックの話を機嫌良く聞いてくれるのだった。一(いつ)体(たい)に島民というものは役者に対して好意的なものだし、役にふさわしくあろうと熱心に努める者に対しては、さらに贔(ひい)屓(き)する癖があった。その上、彼女は世辞(せじ)や追従(ついしよう)で褒めあげられるのを、素直に嬉しく思う質だった。だからジャックは彼女を見かければ、必ず真っ先に親しげな調子で語りかけたものだ。落ちた相手をさらに口説き落とすのは不可能なのだから、彼女がいつも最後にはつれない態度をとっていても、歓迎こそすれ、失望や痛痒(つうよう)は毛ほども感じなかった。
 ジャックが気をつけなければいけないのは、誰か一人を本当に愛してしまうことだった。特に命取りなのはラウラを愛することだが、よりによってラウラに恋し、その愛情のために島を追われる羽目になったジャックが過去に何人もいた。
「やっぱり、あなたはまずラウラと会っておくべきよ。できれば自分の家でね。これから長い間、共同生活ってものをするんですもの。こう言うからって、けしかけてるわけじゃないのは分かってね。私は他人様の自由やプライバシーにまで口を出そうっていうんじゃないんだから。寝起きをする場所をよく確認もしていないんじゃあ、気持ちが落ち着かなくって、何も手につかないものよ。劇場内を見て回るのは、その後だって構わないわ。ねえ、ジム、あなただってそう思うでしょ?」
 二人の新入りを前に喋り倒していたエレオノールは、ふと思いついたように振り返って、またジムに話しかけた。
 レンズ豆が好物の「そうだろうねの」ジム「なんでもない」ジムあるいは「イライザの夫」としか呼ばれないジムが、新しくドロテアにやってきた役者にする助言は、聞いて白けてしまうくらい真っ当で、いつもの無味乾燥な物言いと同じだった。例えば彼はトウモロコシのパンをちぎって、玉子さえ落としていないニンニクとパン粉のスープ、そうでない日には、キャベツとつぶしたジャガイモのスープの残りを、皿からぬぐい取るようにしてから頬張りつつ、平板な声で誰とも目を合わさずに言ったものだ。
「まずは台詞を覚えることだね。一週間後には君達が舞台に立つものだと思って、島民の誰もが期待しているんだから」

 

 

ドロテア カテゴリーの記事一覧