人類は如何に神々として滅びるか

『自己が無視されることを無視するという彼等の英雄主義』

『人間失格』だけじゃない!太宰治ならこれを読め──『晩年』とその他いくつか

 はじめに(いつも通り読み飛ばし可) 

 一人の読者として、一人の作家の小説を読むとき、その作家が書いたどの小説をはじめに読んだかということで、作家に対するイメージの多くが決定されがちである。多分。中には、その一作だけで「さよなら」してしまう読書体験というものも多々あり、不幸だった出会いがハッピーエンドに終わるというご都合主義的な展開は、そう望めるものではない。

 太宰治といえば『人間失格』であり、『人間失格』の太宰治である。(『走れメロス』が教科書に採用されているけれど、まあ自分の意志で)読者として最初に太宰を読んだのが『人間失格』だったという人はきっと少なくない。それが、幸福な出会いだろうかと考えると、どうもこころもとない気がする。太宰を思春期の、青春の作家とみなし、大人になる前にかかるはしかのようなもの、暗鬱・憂鬱・鬱屈の、苦しみ悩むばかりなイメージでもって語る人もまた少なくない。(たちの悪いことに、そういう憂鬱を「私」が語る小説を「文学的」だと考えるナイーブな人もまた少なくない)

 太宰治は文章が大変にうまい作家である。もちろん小説もうまい。直木賞作家の長部日出雄氏は太宰を取り上げたNHKのシリーズ番組で、太宰を卓抜なユーモアセンスのある作家だと言っていた。この意見に同意する。文章がうまいとか小説がうまいとかは、好みもあってどれが一番と決められるものではなくても、ユーモア・諧謔のセンスならば太宰治が日本で一番の作家であると、思い切って私は言ってしまいたい。小説を読んでいながらわれ知らずプッと噴き出し、思わずわれに返って気恥ずかしい思いをし、そういえば今だけでなく自分は読みながら何度も笑っていたようだぞとさらに恥ずかしくなるような作家は太宰くらいだ。

 なるほど笑える小説はたくさんある。特にはじめからふざけていて、みなさん私はふざけていますよと読者にもはじめからアピールしているような小説ならば、笑わせるのはそこまで難しくはない。私が言っているのは、そういう程度の低い笑い(太宰をもちあげるために、ここでも思い切ってそれらを程度の低いと言い切ってしまおう)のことではないのである。要は質の問題だ。

 しかし、太宰の文章の(小説の)うまさが、またユーモアセンスがどれだけ質が高いかを「証明」するのは、ほとんど無理と言ってよいくらい困難である。質の高低を論理的に証明した批評は多分まだこの世に存在しない。

  それでも自分が思う太宰の文章のうまさ、小説のうまさ、ユーモアのセンスがよくあらわれている小説を紹介することはできるだろう。何かをもちあげるために、何かをくさすよりは、よほどましなやり方だ。

 

『晩年』より

  私がはじめて読んだ太宰治は『晩年』だった。それは少なくとも、私にとっては、よい出会いだったと思っている。晩年といっても、人生における晩年とはちがう。坂口安吾が、晩年の作品を短編集の『晩年』と区別するのに、『その死に近きころの作品に於ては(舌がまわらんネ)』とネタにしているが、私が言うのは短編集のほうの『晩年』の話である。まずは『晩年』から数作品選んで紹介したい。一作品目は安吾がM・Cの作品だといって褒めた(M・Cとは「斜陽」でヒロインの手紙の中にあった言葉、マイ・コメヂアンの略。ほかに、マイ・チェーホフ、マイ・チャイルドの略でもある)『魚服記』から。

『魚服記』

魚服記

魚服記

 

 本州の北端の山脈は、ぼんじゅ山脈というのである。せいぜい三四百米メートルほどの丘陵が起伏しているのであるから、ふつうの地図には載っていない。

という書き出しから始まるが、長部氏によれば、梵珠山ならばどの地図にも載っているから、太宰流の一種のデフォルメで、つづく義経伝説にふれる記述や、「ぼんじゅ」と平仮名にひらいた効果も合わせて、民話的な空気をかもしだしている、とのことだ。義経の船がつきあたった山は馬禿山という。

 小山は馬禿山と呼ばれている。ふもとの村から崖を眺めるとはしっている馬の姿に似ているからと言うのであるが、事実は老いぼれた人の横顔に似ていた。

 再度、長部氏の言葉を借りれば、作者の才気を感じさせる表現ということになる。

 山には滝があって、滝の下には『ささやかな茶店』もたつ。と突然『ことしの夏の終りごろ、此の滝で死んだ人がある。』と語られる。自殺ではなく植物採集の途中であやまって落ちてしまったのだ。その落ちた様子を、いちばんはっきり見ていたのが十五になる茶店の女の子だという。この事故の印象的な描写を読者の脳裡に焼きつけて作者は章を終わる。

 茶店の女の子はスワという。彼女がこの小説のヒロイン(主人公)である。スワは、炭焼きの父親と二人で暮らしている。スワは『山に生まれた鬼子』と紹介される。裸足で歩き、天気のよい日には裸で泳ぎ、遊山の人影を見ると、赤茶けた短い髪をかきあげて「やすんで行きせえ」と大声でよびかける。まるきり野生児として書かれている。けれど彼女は『美しい声』をしているとも書かれてあるから、読者はスワがきっと魅力的な少女なのだと想像できる。このスワのなんとなしの変化(成長)を、作者は大蛇になった弟の昔話をはさんで読者に示す。スワの成長は、父親との会話の中でよりはっきりと確認される。乱暴といっていいくらいに粗野な父娘のやり取りの中で、一人の少女が大人の女性に変化する様子を、これだけ見事に描きだしてみせる作者の手腕には感嘆するほかない。

 つづく章で読者にもたらされる衝撃について、ここでネタバレをしてしまうのはやめておこう。

 最終章はタイトルの『魚服記』の由来となる場面である。スワの姿は、かなしく切ないが、同時にかわいらしく、かわいらしいからこそ、またかなしい。M・Cの名にふさわしい、ほとんど完璧といってよい構成の短編である。

 

『逆行』

逆行

逆行

 

  第一回芥川龍之介賞候補作にして落選作である。本当には、これも『晩年』に収録されてある『道化の華』を候補にしてもらいたかったのだが、川端康成に「作者目下の生活に厭な雲ありて』云々とかなんとか言われて、こちらが採用されたのである。そう、たしか『才能の素直に発せざる憾みあった』だっけ。であるからして、太宰治の読者だと名乗るならば、抑えておかなくてはいけない勘所の一つをなす作品である(かもしれない)

 『逆行』は掌編四つを合わせた短編で、一人の男(私)の死ぬ間際から少年時代までをさかのぼって点描するという構成である。文字通り「逆行」するわけだ。

 なかでも『決闘』というタイトルをつけられた短編に、作者の資質、才気、能力を感じるので、そこだけ抜き出して紹介してみよう。

それは外国の真似ではなかった。誇張でなしに、相手を殺したいと願望したからである。けれどもその動機は深遠でなかった。

  こういう書き出しではじまる。主人公の「私」は、酒を飲んで遊ぶのが好きな学生で、しかし彼はケチなのである。友達からもらい煙草をし、散髪をせず、小銭を貯める。そのくせ「私」は、五円の金がたまると、五円紙幣と交換してもらって、それを一晩で使い切るというのだから、みょうなところで気取り屋である。

私がカフェにはいっても、決して意気込んだ様子を見せなかった。遊び疲れたふうをした。夏ならば、冷いビールを、と言った。冬ならば、熱い酒を、と言った。私が酒を呑むのも、単に季節のせいだと思わせたかった。いやいやそうに酒を噛かみくだしつつ、私は美人の女給には眼もくれなかった。

  一事が万事、こんなふうに格好をとっている。嫌味な男である。美人の女給には声をかけずに、わざと年増の女給に声をかけるというのである。支払いをするにも、ほうぼうのポケットをさぐり、何枚かの紙幣から選ぶふりをし、それが十円か五円か確かめるふりをしてようやく五円紙幣を払うというのだから、面倒くさい男である。

 でも、こういうやつ、あなたの身近にいませんかね。思ったよりも近くに。そう、なんだか思い当たるふしが……などと考え始めると太宰の術中にはまっていることになる。かくいう筆者も恥をしのんで告白すれば、まだ酒も煙草もやらない少年時に、夏ならば「冷たいビールを」冬ならば「熱い酒を」と言って、おっくうげに顔をしかめつつ酒を飲む自分を想像してみたりしていたのである。後年、それを実地にやってみようとしなかったのは救いだ。

  「私」は月に一度か二度やってくるたび五円だけ使うということを不審がられるのが嫌さに、同じ店につづけて通うことができない。だから、「腹の立つほど、調和がな」い装飾の店内で、「このカフェでは、とうてい落ちつけないことを知っていた」としても、その日はこの店で飲むほかなかったのだ。

 「私」はなぜかその日、おおいに歓待をうける。異国の若い活動役者(つまり映画俳優ですな)に似ていることから、「私」も女の目を引き始めていたという。(しかしどうもそれは自惚れではないか?) 易者の真似をして、女給を占ってやると、それがことごとく的中してしまう。そのために「私」は大歓待をうけるのである。(これも暇をもてあました女給たちが、金のない学生を持ち上げて、からかってやったのかもしれぬ)などと( )をつかっていぶかしんでみても、小説内の事実としては、「私」が見たこと聞いたこと感じたことしか書かれてないのであるから、黙っていても女給が煙草をくれ、運命をうらなってくれと手をさしだし、そのあとことごとく占いを的中させたことだけしか分からない。

 この的中が「私」を有頂天にさせ、調子に乗ってピッチをあげて酒を飲み過ぎてしまったと後悔をさせ、その後悔が「私」に小事件を起こさせる。その小事件こそが、決闘の直接的原因である。

  しかし決闘というには、この小説に書かれる場面はあまりに情けない。『決闘』というタイトルの小説の主人公にしては、『私』はあまりに情けない男である。

 けれども作者は、情けない男が演じる情けない決闘シーンを、スタイリッシュに(? という表現はちがうか、ならば)ハードボイルドに(? いやいやその形容もどうなのか)とにかく、これでもかというほど情けないみじめな決闘シーンの合間に、作者は「私」にこのような言葉を語らせるのだ。これは明らかに太宰治というたぐいまれな資質(才能)だけに許された、驚くべき特権的な記述である。

私は、ゆったりした美丈夫であった。鏡の奥底には、一尺に二尺の笑い顔が沈んでいた。私は心の平静をとりもどした。自信ありげに、モスリンのカアテンをぱっとはじいた。 

誰ひとり味方がない。その確信が私の兇暴きょうぼうさを呼びさましたのである。
 ――お礼をしたいのだ。
 せせら笑ってそう言ってから、私は手袋を脱ぎ捨て、もっと高価なマントをさえ泥のなかへかなぐり捨てた。 

百姓のこのよさが、私を夢中にさせたのだ。それは小説のうえでなく、真実、私はこの百姓を殺そうと思った。

 これは、はっきりとナルシシスム(自己愛)の一種である。アンバランスなはずの情けない場面とこれらのナルシシスムが、けれども奇妙にしっくりとなじんでいる。ナルシシスムであるならば、それを嫌う読者もいる。ともあれ、先に恥をかいたついでに筆者はもう一度告白しなければいけないかもしれない。少年時に想像して練習したのは酒の頼み方だけではないのである。どのように自分は路傍の杭に噛みついたらよいだろうか? その頃のイメージトレーニングが活かされたことも、まだ一度もない。

 

『ロマネスク』

  民話にある「三人兄弟譚」をベースに書かれた、これこそまさしくユーモア作家太宰治の真骨頂、その才気・能力をいかんなく発揮した名短編である。太宰治という名前を聞いて、「私」や「僕」が一人ぶつぶつぐちぐち、罪だとか罰だとか人生の苦悩だとか死についてだとか暗い表情でたれながしているという通俗的理解を、また「文学的」とか「純文学」とかいう単語を聞いても同様の通俗的理解を頭に思い浮かべる人々の偏見を、打ち破ってくれるに足りる傑作短編である。

 だから、この短編こそ力を入れて内容紹介をしなければいけないが、『ロマネスク』については以前に、まあそれなりの長さで書いているので、そちらにゆずろう。

「ロマネスク」──太宰治の夢 

 

晩年 (新潮文庫)

晩年 (新潮文庫)

 

  『晩年』には、ほかにも『思ひ出』があり『道化の華』があり『猿ヶ島』があり『猿面冠者』等等がある。でも、それらすべてについて書くのは大変なのだ。『晩年』所収でない小説のことも二、三書いておきたい。太宰は決まり文句の名手でもあった。だから、上で紹介したもの以外の『晩年』所収の作品については、フレーズだけ紹介するだけにとどめよう。

 『知っていながらその告白を強いる。なんといういんけんな刑罰であろう。』『われは山賊。うぬが誇をかすめとらむ。』(『葉』より)

『はるばると海を越えて、この島に着いたときの私の憂愁を思い給え。』『言っていけない言葉を彼は言ったのだ。』(『猿ヶ島』より)

『そして、否、それだけのことである。』(『道化の華』より)

『(風の便りはここで終らぬ)』『さようなら、坊ちゃん。もっと悪人におなり。』(『猿面冠者』より)

 しかし、名言集みたいな、誰かが好き勝手にほうぼうから抜き書きしたものを読んでありがたがっていてもつまらない。そんなものを読んで何か知った気になっている者は馬鹿である。君達もこれを読んでしまったからには、馬鹿であることを避けるため、どうしても元の文章を読んでみなければいけない。もとよりこれらは小説であるのだから。

 

『御伽草子』

お伽草紙

お伽草紙

 

   『瘤取り』『浦島さん』『カチカチ山』『舌切雀』の四短編から成る。筆者である父太宰が、空襲をさけて家族といっしょに防空壕に入る。娘がせまい壕から出たがるのをなだめるために父は昔話の絵本を読んで聞かせる。しかし小説家の父の「胸中」には別個の物語が、自然かたちづくられてくるのである、という設定だ。設定であるからには、本当に太宰が娘に読み聞かせなどしていたかも定かではない。そもそも原稿はせまい防空壕の中ではできまい。しかし、そういう設定の、お話の、小説なのだから、われわれ読者は素直に、防空壕の中で娘に読み聞かせをしている父が、胸の中(頭の中)ではまた別の意識で、われわれに語りかけているのだと思って読むのが吉である。

 話は一気に『舌切雀』の記述にまでとぶが、その冒頭で、太宰は『御伽草子』を書くにあたって、「桃太郎」をも題材にしようとおもっていたが、それをやるまいことにした、桃太郎はぎりぎりに単純化された詩であって、それに手をつけることはやめにしたと告白している。が、それをそのまま信じるわけにはいかない。

 なぜなら「桃太郎」の昔話は、芥川龍之介が、先にパロディにしてしまっているからである。桃太郎(kindle版)芥川は、猿蟹合戦の後日談も書いている。猿蟹合戦(kindle版)

  太宰治がこれらを読んでいなかったわけはない。まさか今このブログを読んでおられる君が、そのことについて証拠を出せとは言わないだろう。(は? 本気で言ってるのか? そんなことを言ってると、俺は太宰治のあの恥ずかしいノートの画像を出さないといけなくなるんだぞ。まあ、そんな不粋なことを言うのはやめたまえ)

 芥川龍之介は、太宰治がもっとも憧れ尊敬し影響をうけた作家である。であればこそ、太宰は先輩にならって四つの昔話を自分なりの小説に仕立て、「桃太郎」については先輩の作品に敬意をしめして自分では書かずにおいたのだろう。

 『御伽草子』は、昔話をもとにしているから「寓話」である。さらにその「パロディ」であり、「風刺」でもある。「寓話」や「パロディ」や「風刺」といわれる文芸は、読者に解釈を求めてくる。だから、これを紹介するにあたってもなにごとか解釈を提示したくなる。けれども我慢しておこう。奥野健男や長部日出雄がすでにやってくれている。それに「解釈」は読者それぞれがやってこそ面白い。私は批評家ではなくて、紹介役を買って出たのだから、読み手としての自分の才気をみせつけたいがために、読者の読書の幅をせばめてしまうかもしれない愚を犯さないようにしよう。長部日出雄氏も言っていたように、そういう理屈を気にしないでも、とにかく読みさえすれば、断然、抜群に面白いのである。噴き出さずにはいられないのである。

  思わず声を出して笑わずにはいられないユーモアをこれでもかと詰め込み、さらに奔放な空想力を駆使して現実から遊離した一種の理想郷さえ出現せしめ(『浦島さん」における竜宮の記述。しかし太宰が麻薬中毒患者だったことは確実だから、あれも実際にダウナー系の効能として体験したことかもしれない)もしくは物語からの脱線に遊んで読む人を驚かせる。

 ここには、通俗的に理解されている、陰鬱な、一人繰り言をつづける太宰治の姿はない。むしろユーモア・諧謔という彼の一番の武器を手に、縦横無尽に斬り結んで、それらの一面的なイメージを打ち破ってくれる作家に会えるはずである。

富嶽百景

富嶽百景

富嶽百景

 

  次は『富嶽百景』である。太宰治の健康的な中期を代表する作品といわれる。だから選んだ。私は告白しなければならない。ここまで読んできた君になら構わないだろう。このブログ記事はもう7千4百字をこえている。書きすぎである。誰がこんな長いブログをまじめに読むのか。だから変わり者の君には言って構わないだろう。私はまとめ記事というのを書くつもりだったのである。それももっぱらアクセス数を稼ぐためだけにである。太宰は読んだことがあるから、5つ6つみつくろって、さらっと紹介して、さくっと一つの記事を仕立て上げれば、それでまあ、そこそこアクセス数を稼げる記事ができると思っていたのである。

 けれども太宰治という作家は、けっこうな有名作家であるから、もうすでにまとめ記事ができている。であれば、後出しするからには、内容を充実させなければなどと考えている間にこの長さである。やりきれない。『富嶽百景』の紹介にしても、記憶を頼りにさらっと書いてしまえばよいのである。よいのであるが、一応と思って読み返さずにはいられなかった。ブログを書く上で真面目な気持ちからそうしたのではない。記憶違いででたらめを書くことがこわかったのである。

 この小説には、はじめのほうに井伏鱒二がでてくる。太宰の師匠にあたる人である。仲人でもある。小説の中で太宰は見合いをする。井伏が出てくるのは当然で、太宰が井伏を頼って、甲府は御坂峠の天下茶屋という茶店まで行ったのである。太宰が着いて二、三日あとに、井伏の仕事が一段落ついたからというので、二人して御坂峠より上の三つ峠というところまでハイキングをする。井伏は登山服を着ているが、太宰には登山服がない。

茶屋のドテラは短く、私の毛臑(けづね)は、一尺以上も露出して、しかもそれに茶屋の老爺から借りたゴム底の地下足袋をはいたので、われながらむさ苦しく、少し工夫して、角帯をしめ、茶屋の壁にかかつてゐた古い麦藁帽をかぶつてみたのであるが、いよいよ変で、井伏氏は、人のなりふりを決して軽蔑しない人であるが、このときだけは流石(さすが)に少し、気の毒さうな顔をして、男は、しかし、身なりなんか気にしないはうがいい、と小声で呟いて私をいたはつてくれたのを、私は忘れない。

  ここを読んで私は笑った。声出して笑った。ただそのことを君に言ってみたかったのである。この小説は、『御伽草子』のようにユーモアを前面にだしていないけれど、だからこそ、太宰の自然なユーモアのセンスがより分かるような気がするのである。どうかこういうユーモアに、暗い太宰しか知らない読者が気付いてくれれば、不埒な心得で書き始めたこのブログにも少しは意味があったということにはならないだろうか。

 井伏氏の名誉のために書いておくが、このあと小説の中で彼が放屁したというのは、太宰によるでたらめ、まったくの創作だということである。しかし、それを井伏が太宰に言うと、太宰は、いいえなさいました、も一つぷうとなさいました、とか、数を足して井伏の放屁を主張したらしい。どちらが真実を言っていたかは断定できない。しかし、井伏鱒二がつまらなそうに屁をはなったほうが、多分面白い。

 小説は、太宰の不平と愚痴ではじまる。太宰は富士の姿に納得しない。裾ばかり長広くて、その割に背が低いと言ってやっつける。世話になっている茶店がある御坂峠からの美しい景色にも、風呂屋のペンキ画だ、芝居の書き割りだと言って毒づく。それでも、ぽつぽつ褒めることもあるのである。遊女の一団が峠に遊びに来て、それを見ていた太宰はどうすることもできず、富士に頼み込む。

富士にたのまう。突然それを思ひついた。おい、こいつらを、よろしく頼むぜ、そんな気持で振り仰げば、寒空のなか、のつそり突つ立つてゐる富士山、そのときの富士はまるで、どてら姿に、ふところ手して傲然(がうぜん)とかまへてゐる大親分のやうにさへ見えたのであるが、私は、さう富士に頼んで、大いに安心し、気軽くなつて茶店の六歳の男の子と、ハチといふむく犬を連れ、その遊女の一団を見捨てて、峠のちかくのトンネルの方へ遊びに出掛けた。

  このあたりも読んでいておかしい。何だか涙ぐましいようなおかしさである。長部日出雄氏の言葉を借りれば『太宰は富士山に甘えている』『太宰は富士山が好きだった。富士山が日本一の山だからこそ好きだった』となる。

 長部氏の取材によれば、小説の中で「十五の娘さん」とされていたのは、本当は茶店のおかみの妹だそうで、それを十五の娘という風に改変した効果が、小説の上でどのようにあらわれているかは、実際に読んで確認していただこう。

 NHKの番組には、天下茶屋のおかみさんも出演していた。彼女の話によれば、太宰は冬が近づくと、「もうここには寒くていられない」と言って、バスに乗って帰っていったのだが、その時小説にも出てくる「男の子」(おかみさんの息子)が、太宰になついてしまい、泣きながら追いかけたという。太宰は一言「君泣けるじゃないか」と言ったそうである。が、そのことは小説には書かれていない。小説の最後には、帰る前日に撮った富士山の写真について書かれてあるだけだ。そうしてまったく簡単に茶店をあとにしてしまう。

その翌る日に、山を下りた。まづ、甲府の安宿に一泊して、そのあくる朝、安宿の廊下の汚い欄干によりかかり、富士を見ると、甲府の富士は、山々のうしろから、三分の一ほど顔を出してゐる。酸漿(ほほづき)に似てゐた。 

走れメロス (新潮文庫)

走れメロス (新潮文庫)

 

 

 

【Kindle小説の宣伝です。Unlimited対応】

河童之国探偵物語--クヮヌノットの醜聞--

河童之国探偵物語--クヮヌノットの醜聞--

 

 

饒舌な件(クダン) 鳥獣戯文

饒舌な件(クダン) 鳥獣戯文