人類は如何に神々として滅びるか

『自己が無視されることを無視するという彼等の英雄主義』

安倍政権支持率急落の二つの隠れた理由ーわれわれ大衆は自らを良しとし、そして飽きたー

1.われわれ大衆は「自民党にお灸をすえた」過去を間違っていたと思っていない

 

 なるほど、あのときメディアにのせられて、民主党に本気で期待したのは愚かだった。投票したのは後悔している。しかし、だからといって、自民党が良かったと思い直したわけではない。民主党がさらにどうしようもなかっただけで、自民党だって充分に悪しき存在だったのだ。別に根拠はないが。そう、根拠はない。われわれに何か真っ当な、筋道の通った、根拠のある、政治理念やら政治認識などがそなわっているならば、はじめから民主党などには投票せずにすんだはずだからだ。

 言ってしまえば、われわれは、あの時のわれわれ自身の行動を全否定してしまいたくないのである。民主党に投票したことが正しかったと言うのは無理があるような気がどうもする。だからといって、自民党が良かったという気はさらさらない。われわれは、そこまでバカではないはずだ。われわれの支持を失ったということは、それだけ自民党が悪かったからこそそうなったはずである。なんにせよ、われわれ大衆は、自らを全否定したくはないし、自身を否定してまで反省しようなどという気持ちはさらさらないのである。

 われわれは本当に完全に間違っていたか? われわれはやはり相当程度に正しかったのではないか? 「他に誰もいないから仕方なく安倍を支持する」という、いかにも煮え切らない態度には、こういう底意がかくされてあった。

 一体、なんの法律に違反しているのか、具体的にどこまでが許されてどこからが許されないのかという一線さえ示されずに、とにかく「怪しい」「怪しい」と連呼し、悪魔の証明を求めるばかりの森友・加計問題なるものの報道加熱を機に、一気に政権支持率が急落したことの背景には、われわれの自民党への潜在的な不信感、というよりも、潜在的なわれわれの自己肯定欲求が隠されている。

 われわれは完全には間違っていなかった。相当程度に正しかったのだ。

 

2.われわれ大衆は安倍政権にもう飽きた

 身も蓋もないが、だからこそ、この二つ目の要素は、われわれ大衆にとって、(今賢明なるあなたが)思ったよりも大きいのではないかと思われる。

 いちいち言ってみるまでもなく、われわれ大衆にとって、すべてのニュース・報道は娯楽である。政治であろうと、凶悪事件であろうと、芸能ゴシップであろうと、すべては同一平面上に並べられ同一の測定器でもって計られる娯楽に過ぎない。

 権力者であっても同じことだ。

 われわれにとって安倍政権はもう充分に長い。長すぎた。もちろん、彼の政策がどれだけ有効に働いているかということは、われわれには知るよしもない。

 われわれは「王殺し」を望んでいる。古い王は殺害されて、新しい王にかわることによって、社会もまた新しく蘇るのである。かつて、王達は、われわれを満足させるために、事実上不可能な「王権への挑戦権」を与えたり、日にちを限って奴隷に王冠をかぶせたりしたという。中世ヨーロッパのカーニバルで道化が「偽王(モックキング)」として登場したのも、もちろん「王殺し」を娯楽として模倣し再現するためであった。

 現在のわれわれ日本の大衆にとって、「偽王(モックキング)」とは、総理大臣のほかにありはしない。彼は、単に「選挙」という味気ない祝祭(カーニバル)によって銀紙づくりの王冠をかぶせられただけの偽物である。したがって、彼はまあまあよいところという頃合いに王冠をはぎとられ、玉座から引きずり降ろされなければならない。

 とにかく自民党と現政権を叩いていれば良いという薄っぺらくて稚拙なメディアの態度に、それでもわれわれが「影響される」のは、われわれが王の交代、つまるところ「王殺し」の模倣を娯楽として待ちわび、その座に長くいすぎた道化、モックキングを打ちのめし、引きずり降ろし、われわれと同じなつまらぬものだと確認したいと望んでいるからなのだ。

 くり返すが、あくまでも、純粋に、娯楽としてである。おお、まさか、われわれの口から飛び出すもっともらしい理屈理由(言い訳)に何かがあると思ってはいけない。

 われわれは飽きたのだ。もう同じ顔を見るのはうんざりなのである。

 娯楽を与えよ。あの王様気取りの道化を引きずり降ろせ。

 次のやつがひどいやつだったら? 知るものか。だったらば、そいつもすぐさま殺してしまえ。われわれ大衆には常に娯楽が必要なのだ

 

 

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