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人類は如何に神々として滅びるか

『自己が無視されることを無視するという彼等の英雄主義』

「FAKE VS FAKEの時代」もしくは「大真実時代」

 昨日ひさしぶりにブログを更新して 

 

 とか書いたけど、訂正します。

 「真実」という日本語は、十人いれば十種類ありうるんだから、客観的事実というものを重んじるために、「ポスト真実」ではなく「ポスト事実」にしろとか言ったところで無意味なので、無意味だということを認めて主張を撤回したいと思います。

 

 そもそも「post factual~」という言葉自体が、ヒラリー支持の米左派がトランプ陣営およびその支持者を批判するためにさかんに使った言葉というのだから。しかし、ヒラリーを支持していたメディアが公正だったとはとても思えない。

 

 また「ポスト真実」という訳語にしても、国内で使用される場合には、右からだろうが、左からだろうが、自分の気に入らないものを叩こうとしたり、嘲ったりするために持ち出しているに過ぎない。

 つまるところ別に客観的事実は重要ではなく、自分にとって都合のいい「真実」が大切なのだ。

 

 したがって、世の中の表層で戦わされ、そして関心を失ったとたんに流れ去っていくすべての馬鹿騒ぎは、必ずしも事実に基づかなくてもよしとするものと、こちらもまた必ずしも事実に基づかなくてもよしとするものとの対立である。

 私はこのような状況を「FAKE VS FAKEの時代」と名付けることにした。

 参加するのも馬鹿らしい対立が、しかしけっこうな誘惑をともなって日々次から次に展開されている。

 われわれ大多数の愚かな「真実の信奉者」はたいていの場合、(それを表明するかしないかはともかく、心の中では)どちらかの陣営に属さざるをえなくなるよう強いられるのが常であるし、FAKEとFAKEのただ中にあって、必死で両方を嘲弄しながら頑張ろうとする少数の知的な人種も、この馬鹿らしい対立に参加し巻き込まれているのは同様であって、おそらくは次第に消耗し、ただただ無意味な跳梁をくりかえしたあと、疲れやせこけて倒れるのが関の山だろう。

 

 この馬鹿馬鹿しさから逃れる最善の方策は、無視を決め込もうと努力するのではなく、ともかくまず現状を正しく認識することが第一である。

 すなわち、現代は「FAKE VS FAKEの時代」なのだと認めることである。

 過去はそうでなかったか、ある程度そうであったとして、どの程度そうであったか、ということは、とりあえずどうでもよろしい。とにかくまず、今このようであるということを認めよう。

 その上で、右も左も叩いてまわる永遠のもぐら叩きを思わせるような無意味な遊戯は知的な人々にまかせよう。

 

 われわれはただ、このFAKEとFAKEが相争う時代に、もう一つの名前

 「大真実時代」(大航海時代的なね)という輝かしい名前を与えて、これを賞賛する。

 賞賛する。なんなれば、私は「大真実時代」の名付け親だからである。

 そのため、私はこの「大真実時代」の精神的支柱、すなわち教祖である。

 上で「われわれ」としたのは、小さなはったりである。信徒は一人もいない。

 しかしながら、なんとわが宗派、わが時代の素晴らしいことか。

 私はすべての愚かしいわれわれの守り神である。

 わが時代は、これほどに無数の「真実」によってかがやいている。