「ぎりしあへ行きたしと思へど ぎりしあはあまりに遠し せめては古い巻をくりて きままなる読書の旅にいでてみん」
というわけで、本当にはギリシアにさほど行きたいとも思っていないけれども、悲劇と喜劇をもう一度読み直して、ブログ更新のかたがた記録を残そうと思いたった私だ。
手元に人文書院発行のギリシア悲劇全集第一巻がある。
アイスキュロス篇にはいる前に、ギリシア悲劇についての解説というか紹介をした文章があって、その中に、高津春繁氏が『ギリシア悲劇の構造と上演形式』というタイトルで、村田数之亮氏が『ギリシア劇場と服装』というタイトルでそれぞれ書いている。
これらをそのまま転載してしまいたいが、そういう訳にもいかないので、われわれにとって最小限必要と思われる知識について箇条書きしておこう。
・悲劇は三(部)作同時に上演され、サテュロス劇とよばれる笑劇めいた短い劇と合わせた四つの戯曲によって競演にかけられた。
・舞台には、俳優のほかに、コロスとよばれる合唱舞踏隊が登場する。
・俳優も、コロスの構成員も、仮面をかぶっている。
・同時に登場できる俳優は三人まで。(初期のアイスキュロスでは二人まで、それ以前は一人で演じた)したがって、登場人物が三人以上ある場合は、一人の俳優が二役以上をこなす。
・コロスによる歌唱はもちろん、俳優のセリフも韻律を持っている。(コロスが俳優とセリフを交わしたり、俳優が独唱する場面も存在する)
・すりばち状の客席をもつことで有名なギリシアの野外劇場には、通常われわれが想像する舞台(プロスケオニオン)の前に、オルケストラという円形踊り場があって、ここがコロスの登場場所となる。
他にも特徴は色々あるだろうが、とりあえず今はこれらを確認しておこう。ほかに必要があればそのつど記載すればいいのだし、ここまでもどってきて後から書き加えてもいい。しれっと訂正できるのは、ブログ記事の特権だ。(そんなことでいいのか? いやいいのだ、気楽にやろう)
そしてアイスキュロス篇に入る。
けれど戯曲はまだ始まらない。呉茂一氏による『アイスキュロスについて』という文章がある。アイスキュロスは、ギリシア三大悲劇詩人の一番の年長者、先輩格である。この伝説的な詩人(劇作家)は、伝説的といわれるくらいだから、まさに伝説としかいわれない逸話を持っている。少し長々とだが引用を再引用してみよう。
十世紀頃の『スーダ事典』(スイダス)は、「アイスキュロス」の項の下に、左のような記事を掲げている。「アイスキュロス、アテナイの人、悲劇作家。エウポリオンの息子で、アメイニアス、エウポリオン(子)、キュネゲイロスの兄弟。この三人は彼とともに、マラトンで武勲をたてた。また悲劇作家となった二人の息子、エウポリオンとエウアイオンをもち、彼自身もまた第……九オリンピア暦年に二十五歳のとき演劇競演に参加した。彼ははじめていろんな色を塗った巧妙な仮面を俳優に被らせることを発明した。 また「穿物(はきもの)」と呼ばれる半深靴を使わせることにしたのも彼である。彼はまたエレゲイア詩をを作り、悲劇の数は九十篇に上っていて、優勝すること二十八度に及んだ。一説では十三度ともいわれる。彼が自作を上演したおり、観覧席が崩壊した事件があって、彼は亡命してシチリア島に赴いたが、折から一匹の亀が鷲のため(空を)運ばれてゆき、彼の頭上に投げ落され、その為死を遂げた。六十八歳のときであった。【「……」部分は引用元に同じ。欠落部か?】
つづく呉茂一氏の記述によれば、観覧席崩壊事件はペルシア戦争後のこと(つまりアイスキュロス死後の)だと考えられているらしいから、死因をどうこうせずとも、やはり引用部分が伝説に満ちているのは間違いないとみてよいらしい。(アイスキュロスって、父に兄弟に子供に、エウポリオンがいたんだね)
アイスキュロスは、三大悲劇詩人のなかでも、扱いがちょっと地味になる傾向があるらしい。上にならって、また引用する。
しかしながら、彼の悲劇は、アテナイの市民にいつも愛好されたとはいえないようで、アリストパネスが喜劇『蛙』の中で述べているように、あの大仰なもの言い、難しい長たらしい言葉のつながり、運びの重々しさ、悪く言うと遅(のろ)さ、はようやく市民たちの好尚に遠いものとなり、
ローマ時代になってからは、一層不人気と地味な存在ぶりには拍車がかかったらしい。アイスキュロスの戯曲のうち、現存するのは七篇。
『ペルシアの人々』Persai(Persae)
『テーバイに向かう七将』Hepta epi Thēbas(Septem contra Thebas)
『救いを求める女たち』Hiketides(Supplices)
『縛られたプロメーテウス』Prometheus desmotes(Prometheus vinctus)
『アガメムノーン』Agamemnōn(Agamemnon)
『供養する女たち』Choēphoroi(Choephoroe)
『慈(めぐ)みの女神たち』Eumenides(Eumenides)
(アルファベットはギリシア語名、カッコの中はローマのラテン語名)
伝説がどこまで真実かはともかく、アイスキュロスがギリシア悲劇をいちじるしく進歩させ、高いレベルへ引き上げた大詩人であることは疑いようがない事実であるらしい。
しかしながらこれを他の悲劇作家、ソポクレス、エウリピデスに比較すると、大まかにいって、彼の作には他の二者ほどの手のこんだ構成は認められず、科白のやりとりにも、『オイディプス王』に見られるような有機性、あるいは『オレステース』や『メディア』のような論理の応酬も見出されない。
どうも厳し目の記述が多いので、ここは引き続き引用によって、呉茂一氏に擁護の役割も果たしてもらおう。
彼がもっとも得意とするのは、それらではなくて、特に天翔る空想の雄大さ、壮麗さである。(略)朗々とした語調と、雄渾で力強い、時には乱暴とも思われそうな、compounds(複合語)を次から次へと、畳みかけて重ねる、こうして累積された章句の迫力と重みとは、全く他に比類を見ることができない。
だ、そうだ。
このあたりの言葉の選択や、調子、文章(セリフ)の感覚というのは、訳文をテキストとして選んだわれわれには、完全にはつかみきれないものかもしれないが、アイスキュロスの個人的な印象は、何だかゴツゴツしている。大きな一個の岩石。例えば、神社で信仰の対象となっているご神体としての磐座(いわくら)のような威厳と、一種の荒々しさを感じさせる。(比喩を出して余計分からなくさせたような気もする)
アイスキュロスは単純である。
しかし、単純であるということはかならずしも欠点ではない。
その欠点ではない単純さを確かめるには、まずなによりも作品に触れてみることである。というわけで、これからアイスキュロスの一作品目にとりかかるわけだが、いつものように長い前置きが、いつにも増して長くなったので、ここでひとまず一区切り。
続きは次回に。といいたいところだが、本当に続きはあるのか? 三日坊主どころか、一日坊主で更新がとどこおる我が怠惰をいましめるために、『ギリシア悲劇を読む』の第一回は、『縛られたプロメーテウス』ですよと宣言して、終わることにしよう。次回、乞うご期待!