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人類は如何に神々として滅びるか

『自己が無視されることを無視するという彼等の英雄主義』

小説を書くなら必読!(?)な、文学理論・文芸批評の古典的名著たち

0.前置き(読み飛ばし可)

 よくそれなりに名前を知られた小説家や、業界に名前を売った批評家、評論家が小銭稼ぎに、「小説家のなり方」とか「書き方教則」本のようなものを出すが、はっきり言ってああいうのは、ほぼすべて買ってはいけない。

 なぜなら、小説家としての才能と、批評家としての才能は別物だからだ。小説家自身の自作解説を興味深い資料としてはあつかうが、それを絶対の解釈としてはいけない(一流の小説家が、自作の批評家として二流以下であることは普通にありうる)ということを言ったのはノースロップ・フライだが、よく小説家(創作者)が自作の「批評」を読んで、「俺はこんなつもりで書いてない」と言ったのをうけて、平身低頭、えへえへ笑ってごまかしそっと自説をひっこめる評論家や批評家がいるが、ああいうのは、批評家の資格がない。

 では、読むとして何を読めばいいのか。それは、すでに評価の定まっている古典的名著を読めばいい。それも学問的(科学的)な正しさをもって書かれ、評価されているものを読めばいい。そのとき「かっこよさ」を排除しなくてはならない。(なぜなら、ロラン・バルトの物言いは、いちいちなんとなくかっこいいけども、彼が学問的、科学的な批評を目指して書いたとされる「S/Z」は、彼の言う「コード」なるものの設定が恣意的なために、全体としてちっとも学問的でも科学的でもないからである)

 われわれは有用なものを求めている。であれば、「事実」を重んじるべきなのだ。「事実」はいつも味気ないが、「味気ない事実」はほとんどいつも肝要で、重要でさえある。(上にあげた「小説家のなり方」や「書き方教則」本のましな部類のものも、下に並べる批評を、文学理論を、種本として、もしくはそれらを孫引きして書かれている。であるならば、それ自体を読んだほうがいいことは明白だ)

 

1.『批評の解剖』ノースロップ・フライ

批評の解剖 〈新装版〉 (叢書・ウニベルシタス)

批評の解剖 〈新装版〉 (叢書・ウニベルシタス)

  • 作者: ノースロップフライ,Northrop Frye,海老根宏,中村健二,出淵博,山内久明
  • 出版社/メーカー: 法政大学出版局
  • 発売日: 2013/11/08
  • メディア: 単行本
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  「文学」とか「文学的」とか「純文学」という単語にでくわすと、途端に不機嫌になって「結局文学って何?」と皮肉めいた口調で答えを期待していない質問を発する人がよくいるが、そういう人は誰かに聞く前にこの本を読まないといけない。「文学的」とか「文学性」とは何かということを定義したり、説明したりすることはあまりに難しい。答えを無理強いされるならば、芥川が言ったように、古今の傑作佳作の中にあるとでも答えるしかない。しかし『批評の解剖』を一冊読めば、「文学」というもののアウトラインが分かる。もちろん実際の文学に触れるには、実作品を鑑賞するしかないにしても、アウトラインをつかんでいるかつかんでいないかによって、個々の作品の位置づけや、作品間の関係性の理解は格段にちがってくる。『批評の解剖」を一冊読むだけで、今までただただ茫洋として、曖昧模糊とした観念に過ぎなかった「文学」の輪郭がはっきりと見えてくる。

 『批評の解剖』の文学理論(批評)としての画期的な成果は、『登場人物の卓越性に応じて文学作品の間に違いが生じてくる』というアリストテレスの言葉に注目し、主人公の行動能力の大きさによって、文学作品を、神話、ロマンス、高次模倣様式、低次模倣様式、アイロニーという5つの様式に分割し定義したことだ。

 神話は、そのまま神話である。フライは、神話の中にこそ、文学全体にくり返しあらわれるイメージの原型(アーキタイプ)があるとした。ロマンス様式は「恋物語」ということではなく、ここでは伝説や民話、おとぎ話、宗教的な奇跡劇、中世騎士道物語などが含まれる。高次模倣様式には悲劇の大部分が、低次模倣様式には喜劇の大部分が、アイロニー様式には、風刺やパロディといった領域が含まれる。

1、に関連して『言語芸術作品(文芸学入門)』ヴォルフガング・カイザー 

言語芸術作品 〈新装版〉: 文芸学入門 (叢書・ウニベルシタス)

言語芸術作品 〈新装版〉: 文芸学入門 (叢書・ウニベルシタス)

  • 作者: ヴォルフガングカイザー,Wolfgang Kayser,柴田斎
  • 出版社/メーカー: 法政大学出版局
  • 発売日: 2015/04/23
  • メディア: 単行本
  • この商品を含むブログを見る
 

  まず何といっても著者の名前がすごい。ヴォルフガング・カイザー。有無を言わさぬ説得力。法政大学出版局の書籍紹介ページで目次を見てもらえば分かるが、文芸批評・理論の用語、概念などの百科目録のようになっている。中の記述はまことに味気ないが、味気ない事実をわれわれは重んじると確認した。これは単なる推測に過ぎないけれども、『批評の解剖』以前のこの書は、このエントリで学問的、科学的と言っている態度、フライが言い直したところによると、体系的、または、前進的、という態度をそなえているように思われる。フライがカイザーから直接的な影響を受けたかは知らないが、このような学者批評家や、このような書物、研究の蓄積があって『批評の解剖』がうまれたのだと思う。(が、ここでは参考という体の紹介にとどめます)

 

 

2、『世俗の聖典 ロマンスの構造』ノースロップ・フライ

世俗の聖典―ロマンスの構造 (叢書・ウニベルシタス)

世俗の聖典―ロマンスの構造 (叢書・ウニベルシタス)

 

  ノースロップ・フライの主著とは言えないであろう本書を取り上げるのは、ロマンスという様式が、今も昔も大衆文芸、娯楽小説とよばれるものの大部を占めているからである。現在の娯楽小説の多くが、娯楽漫画の多くが、ライトノベルの多くが、ゲーム(特にRPG)の多くが、ロマンス様式の要素を多分に持っている。

 フライは、この通俗的な様式を、文芸全体の中心に位置していると表現した。

 ある小説家が、自らを大衆作家、娯楽小説家だと自称するならば、『批評の解剖』を読んだついでに、次にフライの著作を手にするとして、本書がおすすめできると思う。自らをアイロニー様式の書き手だと思っている私のような者よりも、おそらくは多くの収獲があるのではないかと思う。

 

 

3、『物語のディスクール』ジェラール・ジュネット

および『続・物語のディスクール』 

物語のディスクール―方法論の試み (叢書記号学的実践 (2))

物語のディスクール―方法論の試み (叢書記号学的実践 (2))

 

 物語の詩学 -続・物語のディスクール 叢書記号学的実践 (3)

 錯事法、後説法、前説法、括復法などなど、技法として読んで有用な記述は多々あるが、本書においてもっとも重要なのは、ジュネットが、「あらゆる小説の全体は、何者かである語り手がおこなう語り」であるという認識に立って、『小説家はどこかにカメラを据えなくてはならないわけではない。小説家はカメラなど持っていないからである』(これは『続・物語の~』からの引用)と喝破し、従来使用されてきた「視点」という用語を排して、『語りの焦点』という用語を採用したことにある。

 「焦点」という概念を採用することによって、従来一緒くたにされて曖昧に言及されていた、語る主体(語り手)と語られる対象(焦点)を切り分けて考えられるようになった。「小説にカメラはない」ということ(例えば「あたかも誰かが見ているかのように」語ることと、レンズを通して見ていることは違うという事実)は、言われてみればごくごく当たり前の「味気ない事実」だが、それをまず最初に、説得力をもった言葉で整理してみせるのは、希代の才能にしかできない。

 『物語のディスクール』を誰もが読んで、その内容を尊重していれば、一山いくらみたいな批評家や書評家がよく言う「視点のぶれ」なるものが、どう考えたっておかしな日本語だと思い至るし、「視点=(焦点)」などというおかしな定義をジュネットの名前とともに持ち出した渡部直己が提唱した、「移人称」(笑)なるとんちんかんな用語もどきに大勢で右往左往する必要もなかったのである。

 

4、『フィクションの修辞学』ウェイン・C・ブース 

フィクションの修辞学 (叢書 記号学的実践)

フィクションの修辞学 (叢書 記号学的実践)

  • 作者: ウェイン・C.ブース,Wayne C. Booth,米本弘一,渡辺克昭,服部典之
  • 出版社/メーカー: 書肆風の薔薇
  • 発売日: 1991/02
  • メディア: 単行本
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   順番的には、これを読んでから『物語のディスクール』とすすむべきなんだろうが、小説を書く側にとっては、『物語の~』のほうが有用性が高いように思うから、おすすめ順番的にはこれがあとになった。もしも、どちらにも興味があるんだけどどうしようかと思っている人が、このブログに迷い込んできてしまったとしたら、本書を読んでから、『物語のディスクール』を読むことをおすすめします。

 本書には、「内在する作者」という重要な概念もあるけれど、ここで触れておきたいのは、『フィクションの修辞学』が「語りの復権」に挑んで、それを成し遂げた(はずだった)ということだ。

 ブース以前には(というより古来から、ミメーシスとディエゲーシスのように)文芸には「示すこと(showing)」と「語ること(telling)」という対立もしくは区別があって、それがニュークリティシズム以来、「示すこと(showing)」(つまり客観描写)が優位に立つと言われるようになった。(これは、日本に流れてきたあと、おそらくは孫引きにつぐ孫引きのあと「説明するな描写しろ」というまことに単純であるのに曖昧模糊とした格言に劣化したのだろうと推測する。そもそも「説明」と「描写」の境界を誰もまともに説明できない。それもそのはず、日本語の意味を考えてみれば、「描写」は「説明」の一部、一要素であるからである)ブースはこの「新常識」を攻撃し、再び「語ること」の地位を引き上げてみせた。

 

 

5、『昔話の形態学』ウラジミール・プロップ  

昔話の形態学 (叢書 記号学的実践)

昔話の形態学 (叢書 記号学的実践)

 

  言わずと知れた(?)物語の構造分析を行った書である。「書き方教則本」などでもよく名前が引用されているのではないか。また往々にして、小説の筋、物語(ストーリー)というものは、パターンがあって、結局そのいくつかのパターンに単純化できるという話からはじまって、物語批判につなげるような物言いをする人がいる。そのパターンの分析をしたのが本書だ。ある意味、罪深い結果を生み出した本とも言える。

 しかし、この『昔話の形態学」で行われている物語分析が、「ロシアの魔法昔話」に限定されているということを知っている人は、どのくらいいるだろうか。対象を悲劇の戯曲にすれば、もしくは私小説にすれば、また違った結果も出るとは思う。

 とにかく話を本書にもどして、プロップがやったことはというと、魔法昔話を収集し、その中から登場人物の行為(これを「機能」とした)に注目し、それらの行為の中で、共通している部分を取り出した。そうすると、それぞれは全然別の性格をもって見えるそれぞれ別の話の登場人物が、同じ行為をしている、すなわち同じ機能を果たしていると分かった。

 ごくごく大ざっぱな例で申し訳ないが、多くのRPGでは、どんな種類の主人公でも最後にはボスを倒して世界を安定させるという機能を果たす。ただし、ボスを倒すには、特別な「道具」がいることが往々にしてある。それがオーブであるか、特別な武器であるか、防具であるか、秘伝の呪文であるか、は別にどれでもよい。その特別な「道具」を授けてくれる、仙人、魔女、王様、エルフの族長(これも何でもよい)に認められるには、なにがしかの試練に耐えたり、窮地を救ってやらなくてはならない。などなど。「機能」としては同じだが、表面的には別の行為がなされている。こういう分類作業を、集められるだけ集めた魔法昔話に適応して、図表にまとめられるまでにしてしまったのがプロップという人である。

 「魔法昔話」というジャンルは、はっきりとフライが言った「ロマンス様式」に包含されるものだから、現代の娯楽小説、とりわけライトノベル作者、または少年漫画作者には、このプロップの分析分類を活用するだけで、簡単にプロットを書けてしまう、といって言い過ぎなら、プロットを作るのに大いに役立つことだろう。

 ちなみに抄録版が文庫でも出ているが、どうせ読むなら省略なしがよいと思う。日本語訳までしてくれているのだし。

 

 

 

 以上、5冊+αを駆け足で紹介したが、もちろん、小説家は批評家とは違うのだから、文芸理論を知っているからといって、良い小説とか、面白い小説とか、売れる小説と言われるものが書けるというわけではない。しかし、知っていて害になるかというと、そんなことはないと思う。気に入った部分だけ、役に立ちそうな部分だけ使えばいいのだ。もしもあなたが将来、小説家として成功をおさめ、あとになって、これらを読んだときに「ああ、もっと早く読んでいれば」という後悔をしないためにも、目を通すくらいはしておいていいと思う。

 ただ、目を通すだけで十分だ。下手に文学通を気取ったり、あまつさえ多少のアクセス欲しさにブログの記事などを書き殴り、雑な紹介文にツッコミを入れられて恥をかく危険をおかす必要はないのである。一応読んでおいて、使える部分は使い、あとはしれっとして、他人から話をふられれば「ええ、目は通しました」とサラッと言うくらいがスマートだ。

 ただし、ここで紹介している本は論理的に書かれていて、ポストモダンが脱構築でなんたらかんたらな書物や文章とくらべれば、分かりやすいけれども、やっぱりそれなりに歯ごたえはある。一度で一気に理解するよりは、一度目はすーっと流しておいて全体をつかみ、あまり間をあけずに再読するのがおすすめだ。少なくとも、私の頭では一度で十分に理解したと思うことは難しかった。

 また、一応アマゾンのリンクを貼り、クリックによって発生するアフィリエイトという罠がしかけられているけれど、基本的に定価はけっこうお高いし、また古本でしか手に入りづらく、しかも定価より高くなっていたりするものもあるはずなので、とりあえずは、最寄りの図書館に行ってみるのがオススメです。