人類は如何に神々として滅びるか

『自己が無視されることを無視するという彼等の英雄主義』

グラナダTV版ホームズレビュー①「ボヘミアの醜聞」

 ブログは自由に、好き勝手に書ける。好き勝手に書けるなら、嫌いなものより好きなものを書くほうがいい。ここ数年、ニコチンパッチをしたホームズが主人公のドラマが人気らしい。ワトスンとモリアーティが女性のドラマもあるらしい。別にそれはそれでいいが、私が好きなのは──私にとっての実写化された、三次元の、シャーロック・ホームズといえば──ジェレミー・ブレットただ一人なのである。

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 好きなものを好きなようにレビューして、自分用にも覚書としてブログにストックしておきたい。原作は古典であるし、ドラマ自体も古いものなので、ネタバレは気にしない。DVDセットの1巻から順番にコツコツレビューしていければと思う。

シャーロック・ホームズの冒険[完全版] DVD-SET1

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  第一作目は「ボヘミアの醜聞」。これは月刊のストランド誌に掲載された最初の作品(短編)だ。もっともホームズが登場する作品ということならば、先に「緋色の研究」と「四つの署名」という二編の長編が存在する。しかし、シャーロック・ホームズ氏を世界的な名探偵という地位にのぼらしめたのは、このストランド誌に連載された短編シリーズがあってのことである。小説の冒頭はこういう印象的な文章で始まる。

TO SHERLOCK HOLMES she is always the woman.

 『シャーロック・ホームズにとって、彼女はいつも"the woman"だ。』と訳して間違いということはないだろう。 訳してと書いておきながら、"the woman"と英語を残しているのは、延原謙の訳と、DVDの吹き替え音声と、日本語字幕の三つがそれぞれ違う風に訳しているからである。

 延原謙は「あの女」としている。DVDの字幕は(なぜか冒頭では"the woman"を無視して、「美しく不可思議な女性」としているが、この語は原作の最後にも出てくるので、そこでは)「例の女性」と訳している。吹き替えでは、ワトスン博士が、したがって長門裕之が、「あの人」と呼んでいる(正確にはホームズがそう呼ぶと言っている)。

 私は長年NHKで放送されたグラナダTV版のシャロック・ホームズしか知らなかったので、「あの人」とだけ記憶していた。

 「あの女」で間違いではないが、通常われわれが女性を「あの女」呼ばわりするときは、あまり良い風には言わないことが多いような気がするし、エレーナ・アドラー(もしくはアイリーン・アドラー……字幕ではアイリーン、吹き替えではエレーナ、ドラマのワトソン役デビッド・バークの発音も私にはどう聞いてもエレーナもしくはイレーナである)へのホームズが抱いた驚嘆と一種の尊敬には似つかわしくないように思う。「例の女性」はその点「あの女」よりも穏当だが、スマートな訳という点で劣ると思う。というわけで、ここでは、エレーナ・アドラーは「あの人」ということにさせてもらいたい。

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  のっけから細かいが、細かいついでに、今度は原作小説とドラマ版の違いを確認しておこう。原作の冒頭は、「四つの署名」で結婚したワトスン博士が、久しぶりにホームズと同居していた下宿に名探偵その人を訪ねるというシーンから始まるのだが、ドラマ版ではそうではない。

 まずはじめに、エレーナの家に賊が忍び込んで、銃を持った彼女が追い払うというシーンからはじまる。場面はベーカー街に移って、雨に濡れたワトスン博士が田舎の往診から帰ってくる姿を映す。ホームズとワトスンは数年間同居しているという設定に変更されている。ちなみにNHK放送版では、ワトスンが帰宅するくだりは放送時間の都合もあって省略されている。(吹き替えを別人がしているから分かるのである)。そのため、ワトスンを出迎えてくれたハドスン夫人も、そのあとのモルヒネとコカインのくだりも省かれてしまっている。(完全版のNHK省略部分の吹き替えが露口茂でないと知ったときは残念だったが、別人が吹き替えたおかげでどこを省略されていたかが分かって面白いという面もある)

 ここでやっとこのブログの記事にもホームズが登場する。やっとと言っても、私がだらだら書いているだけであって、ドラマ本編にホームズが登場するのは、オープニングも含めて開始から4分少々の時点だ。

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 この頃のジェレミー・ブレットは、50歳を過ぎたばかり、というと、ホームズ役をやるには年をとって感じられるけれども、まだ薬の副作用の影響も感じられず、美青年の面影もあって、まさに原作小説からそのまま飛び出してきたような、完璧なシャーロック・ホームズだ。DVDに付属している解説によると、『一説には、ホームズを演じた俳優として実に117代目にあたるらしい』という。

 ジェレミー・ブレットは登場するが、露口茂が登場するにはもう少しだけ間がある。ワトスン君の小言とか、ホームズの憂鬱と探偵業についての考えなんかが引き続いて省略されているからである。

 記念すべき露口茂氏の第一声は、『んー、どう見るその手紙?

 手紙というのは、ボヘミア国王からのものである。変装して変名を使い、身分を偽ってやってくるが。

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 すぐにホームズが見破ってしまうので、王は仮面を投げ捨てる。ボヘミア王は近く婚約を発表するが、エレーナと撮った写真が問題になったのである。現在では(電子)メールやSNSの書き込みやスマホで撮った写真が有名人の醜聞の原因になることがあるが、この時代にはなんといっても直筆の手紙だった。ホームズ曰く、手紙ならば偽造だと強弁できるというのだが、ボヘミア王はエレーナとの2ショット写真を撮っていた。

 「費用は?」と聞かれた王が金貨で300,紙幣で700ポンドをポンと出したときのジェレミー・ブレットの微妙な表情の演技は見物だ。それから、原作にはないが、ホームズが部屋をあとにする王に背中を向けてパイプに火をつけるところ。チラッとドアを見るしぐさが面白い。原作にないといえば、ワトスンが金貨を取り上げて旨いものでも食べに行こうと誘うのと、ホームズがチャイコフスキーが指揮する演奏会は諦めようというセリフがある。

 原作にないつながりで、この場面で覚えておいていただきたいのは、貴族だと名のって仮面をつけている王に、ワトスンが手を差し出すが、「ボヘミア王」は握手に応じないというシーンで、これも原作小説にはない。ないけれども、ちょっとした小ネタの伏線になっている。

 第一話のジェレミー・ブレットは、原作小説にならって二度変装する。失業した馬丁と、誠実そうな牧師にである。

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 馬丁はエレーナの結婚式の付添人として立ち会って金貨を謝礼としてもらい、牧師は謀をめぐらして見事写真のありかを見破るが、写真を取り戻すのを翌朝、ボヘミア国王と一緒にと考えたことで、策に勘づいたエレーナの機転によって見事出し抜かれてしまう。結果、ホームズは見事、エレーナ・アドラーのブロマイドを手に入れる。

 

 「ボヘミアの醜聞」において、原作小説およびグラナダTV版ドラマに共通して注目したい点が二つある。

 一つ目は、ホームズが人をたくさん雇って狂言をやり、「事件(といって大げさなら案件)」を解決しようとしたことだ。推理による解決でないのはもちろん、人を雇ってというのが、らしくない。こういうホームズによる「演出」は、このあとはほとんど見当たらないはずである。手下らしきものを使ったのも前作「四つの署名」での浮浪少年で構成する「ベーカー街特務隊」くらいしかぱっとは思いつかない。「四つの署名」では、わざわざ警察船を用意させて、ハドソン河でカーチェイスならぬランチチェイス(?)していたが……。思うに、これが三作目、短編一作目の時点では、天才コナン・ドイルも試行錯誤をしていて、推理小説としてのシャーロック・ホームズシリーズの内容が固まってなかったのではないかと思う。

 二つ目は、エレーナ・アドラーの動機だ。彼女は外国へ逃げたのちに残した手紙で、自分は結婚し、愛し愛される夫をもったのだから、王は写真のことはもう心配するなと書いている。ドラマでは船の上から写真を海に投げ捨てもする。王はエレーナの気質から、もう写真が公表される心配はないと安心し、それでこの話はハッピーエンド(?)となる。しかし、結婚を約束したいい仲の男がいるならば、どうして彼女は、写真を公表するといって王を脅したのだろうか? わざわざ逃げるくらいなら、はじめから写真を売ってしまわなかったのだろうか? 自分の身を守るため? いや、一国の王を脅すほうが危険を高めるだろう。なるほど「エレーナが写真を公表すると脅している」と言ったのはボヘミア王だけの証言だが、それがもし王の嘘だったというなら、王の態度はあまりに不自然だ。これも、シリーズ初期ゆえのことか、いや、女性というものの永遠の不可思議性としてとらえるべきだろうか。

 

 ホームズが褒美にと言われた趣味の悪い指輪を断り、かわりにエレーナの写真をもらいうけたあと、王が差し出した手を見向きもせずに、礼をしただけでさっさと立ち去っていくのは、原作でもドラマでも同じである。ただし、グラナダ版ホームズでは、ボヘミア王の空しく差し出された右手を、ワトスン博士が力強く握るという演出が付け加えられている。

 

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