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人類は如何に神々として滅びるか

『自己が無視されることを無視するという彼等の英雄主義』

もしも次の参院選で20代(18歳以上含)、30代の過半数が「白票」を投じたら?──「失望」を伝えるという選択肢

前置き

 「選挙に興味がない若者は、次の選挙で「白票」を投じればいい」というタイトルでブログを書こうと思っていたら、すでに2014年時点でこういうサイトができていた。

黙ってないで、NO!と言おう。| 日本未来ネットワーク

 このサイトや「白票」を投じる行為を批判する声ももちろんあって、まとめサイトが取り上げている。

入れたい候補者がいなかったら「白票でも投票した方がいい」って本当なの?戦略的投票って? - NAVER まとめ

 

 批判する側としては、白票を投じる行動は与党を助けるだけだとしている。そうかもしれない。しかし、だからといって、「戦略的投票」なる言葉をかかげて、与党候補を落とすために、野党に入れろと主張していては、同じ穴のムジナだろう。あの「3年3ヶ月」以前ならば、「自民党にお灸を据える」(笑)という言い分にも、人を惹きつける効果があった。しかし、現在は今は亡き民主党政権誕生と崩壊以後なのだ。野党統一候補は、参院選の前哨戦である北海道補選で負けた。「風」がいくぶんか吹いているような心持ちさえしたのに負けた。

 

 外部サイトにリンクを貼っての前置きが長いが、僕に分かったのは、たとえ「白票」であっても、選挙に関することがらについて云々しようとすれば、完全に中立という立場から物を言うということは極めて難しいということだ。したがって、僕の「立場」というものを、まずは簡単にでも書いておかなければいけないだろうと思う。

 僕は、自身を、穏健的な保守派だと思っているし、そうありたいと思っている。だから、田母神閣下(笑)を支持したことは一度もないし、都知事選のあの候補者の中から都民が桝添氏を選ばなければいけなかったのは仕方ないと思う。それと同時に、おそらく現在の日本国民のマジョリティと同様に、安倍政権を支持している。(しかし自民党全体は必ずしも支持しがたい)理由はおそらく彼等と同じく、安倍晋三がいちばんましだから、他には全然首相の資格がありそうな人間がいないからだ。ただし、必ずしも消極的な支持ではない。人間は神々のように優れているわけにはいかないのだから、相対的にましなものを選ぶしかない。他にぜんぜん資格がありそうな人間が見当たらないということは、それだけ安倍晋三が相対的には抜きんでて優れている、ということだ。安倍晋三を揶揄している、あの博学の評論家も、批評家も、ジャーナリストも、同じ立場になってみれば、安倍晋三の100分の1もまともな仕事ができないのは、僕の目から明々白々だからだ。

 というわけで、「安倍憎し」の人には僕のブログなんて何の価値もないと分かったことだろう。さようなら。そもそも、彼等の多くは野党統一候補に「投票」する予定のはずだから、この記事で問題にしたい、選挙に興味がない若者、どんなに投票をすすめられても、投票するつもりがない若者とは関係がない。ようやく前置きを大体書き終わったので、そもそも書こうとしていた内容を書かせてもうことにする。

 

選挙に興味がない若者は、次の選挙で「白票」を投じればいい

 ここで問題にしているのは、メディアがどんなにキャンペーンをしても、政治家がどんなに声を枯らして演説しても、選挙の前にだけ電話をかけてくる知人がどんなに頼み込んでも、ネットの保守派がどんなに野党の愚かさを糾弾しても、ネットのリベラル派がどんなに政府与党の愚かさを糾弾しても、投票をするつもりがない若者に関しての話である。(投票する先を見つけた人は、共産でも自民でも民進でも公明でお維新でも社民でもなんでも投票すればいい)

 

 どうせ投票をしないのならば、あなたがたは「白票」を投じればいい。

 白票を投じて、みずからの「失望」を形にあらわせばいい。

 

 どんなに前置きを長々と書いていても(いや、書いているからこそかもしれない)上のような主張をすれば、待ったをかける人もいるだろう。例えば『お前は保守派だと自分で言っているじゃないか。安倍政権支持と言っているじゃないか。しかも、政治家とは相対的に優れているものを選ぶのだということも言っている。だったら、自民党に賛成するのが筋じゃないか』と。たしかに、共産党とまで組んで「自民憎し」をやる旧民主党の人たちの行動は、僕にとっては理解不能だ。僕がどこかの誰かに投票するとすれば、まず第一に自民党の議員が候補になる。

 けれども、この選挙戦で自民党が勝ったとしても、若い世代にとっては、おそらく何も恩恵が無い。おそらくは何も改善されない。なぜならば、それは従来型の政策を支持したこと、現状を支持したことになるからだ。自民党はいったん負け、そして次の衆院選ですぐに政権の座に返り咲いた。TVを中心としたメディアは『自民党は反省したのか?』(笑)『自民党は本当に変わったのか?』(笑)などと、しきりに言っていたが、本当に反省して変わるべきは、彼等メディアのほうだった。実際には、国民の多くが、メディアにのせられて投票したことを反省し、アレよりは、まあマシだからと、かつて自分が否定したはずの自民党中心の政権をしぶしぶ支持している。

 政府与党に投票するということは、大筋で、こういう状況を認め、自民党の従来の政治まで認めることと同じである。別に、僕はサヨクではないから、従来の自民党というものすべてを否定したいという願望を持っているわけではない。

 しかし、民主主義というものは、選挙で政治家を選ぶものだから、現状、若者の与党への投票が増えたからといっても、圧倒的に数にまさる上の世代と比べれば、影響力は非常に限られる。こういう話の展開をすれば、『世代間闘争を煽るな』というお叱りの言葉がとんできそうだが、実際に持っている資産を比べてみれば、はっきりと上の世代に偏っているじゃないか。ブラック企業での使い潰しの対象になっているのは、世代問わずなのだろうか? 対象になっている世代がどこかは明白だと思われる。保守派に人気がある自民党の西田某とかいう参議院議員は、「別に資産が上の世代に偏っていても、結局、相続によっていつかは下の世代に引き継がれるのだから問題はない」と言っていた。こういう議員がいる、しかも人気だという政党に、世代間格差の解消を期待しても無意味である。

 

 と、自民党への失望を口にすれば、心優しい(笑)サヨクの方が『古い自民党に世代間格差を是正できないのはもっともです。それができるのは野党でしかない。現に自民党への反感を口にし、われわれと行動をともにしたり、われわれの活動に賛意を示してくれる若者が増えているんですよ』教えてくれかもしれない。

 例えば、シールズ(笑)とかシールズ(笑)とかシールズ(笑)とかね。しかし、メディアが映すのは、シールズであっても、彼等がやっている、とても上手とは言えないラップを取りまいて聞いているのは、おっさんやおばはん、というよりも、じいさん、ばあさんだ。野党は統一候補を立てるそうだが、共産党の主な支持者は団塊世代を中心とした高齢者である。緊縮財政をうたい、公共事業を叩く旧民主党に世代間格差の是正がどうやってできるというのか。橋下徹じゃないけれど、労組(笑)に頼り切りの旧民主党になんの真っ当な改革ができるのか。自民率いる与党が古いというならば、野党はそれに輪をかけて古い。

 

 残念ながら、若年世代に選択肢はない。あるとすれば白票を投じるという選択だけである。

 

 しかし、ここでもまた批判はあるだろう。『若者に投票する政党がぜんぜんないとしても、白票は無意味だ。白票は単なる無効票にすぎない。白票が数百票、数千票集まっても、誰かが当選し、その誰かが与党であれ、野党であれ、これまでと同じ何かをするだけだ。みんなそれを知っているから投票しないんだ。だから、無意味な白票が大幅に増えることはありえない』と。

 

 まあ、そうかもしれない。そうかもしれないが、僕は夢想家なので、もしも、すべての無投票者が、白票を投じればということについて考えたい。

 先の衆院選では、投票率が落ち(民主党がアレだったんだから当然だが)20代、30代はもちろん、40代でも半数が投票をしなかったという。

 今度の参院選で、投票率が上がるとも思えない。衆参同日選という可能性はまだあるようだが、それでも、18歳以上~20代、30代の投票率が過半数を超えるとは信じられない。なぜなら、投票したいというような政党が国民に用意されているとは思えないから……いや、政党というものは国民みずからつくりだすものだから、われわれは、自分たちのためになる政党を、少なくとも若者の声をすくいとれる政党を用意できていないからである。

 

 だから、僕は夢想家として、その無投票者がすべて、白票を投じたらということを考えたい。(どこか投票する先がある人は、投票すればいいことである)

 海の向こうのアメリカでは、国民が怒っているそうだ。国民は怒って、従来の政治を破壊したいと望んでいるごとくである。共和党ではトランプが候補として選出され、民主党では特に若者の支持を受けてサンダースが善戦しているという。

 けれども、日本国民の現在に、怒りがふさわしいとは思えない。怒りは一応、前の前の衆議院選で表現された形だ。そうして、今や、国民の大多数が、怒りにまかせたかつての自分たちの投票行動に対して、失望している。

 今、この国にあるのは、失望、だけである。

 であるならば、白票こそが、その失望をあらわすのに、もっとも適した手段ではないか。

 

 もしも、白票が過半数を越えたなら、というのである。そうはならないだろう。そうはならないだろうということはよくわかる。しかし、しつこくくり返すが、僕は夢想家なので、そう考えてみたいのである。もしも、この長々としたエントリをここまで我慢してきた人がいるならば、せっかくだから頭の体操と思って、僕の夢想に付き合ってほしい。

 

 もしも、若い世代の投票で、白票が過半数を越えたなら、必ず何かは変わる。数百票、数千票、数万票でも何も変わらないかもしれないが、有権者の過半数が白票を投じたなら、必ず何かが起こる。それが、白票を投じたものへの、厳しい批判であってでもだ。

 たとえメディアが白票を叩いたとしても、もしくは、こんな選挙に価値はないと、勝利者をけなしめるのに利用したとしても、もしも、有権者の過半数が白票を投じたなら、「センスのある政治家」にはきっと届くはずだ。その「センスのある政治家」に実行力があるならば、必ず何かが起こり、変わるはずである。改善するはずである。僕はそう信じたい。夢想家として、そう信じるのが好きだから、信じるのである。

 

 そんなセンスがあって、実行力のある政治家がいるだろうか? 現実主義者の君は、言うだろう。現実主義者が夢想家よりもいつも正しいという事実に、逆らうつもりはない。実際は、何も改善する余地などないのかもしれない。しかし、そうであったとしても、われわれには、われわれの失望が正式に認められたという慰めは残るだろう。