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人類は如何に神々として滅びるか

『自己が無視されることを無視するという彼等の英雄主義』

唐沢寿明のキャリアに傷をつけたキャシャーンを許さない

 今ははっきりと凋落していることを自他共に認めるフジテレビだが、まだ十年前くらいなら、いい仕事だなと思えるものが個人的にはあった。はじまったばかりの頃のノイタミナ枠とか(今はどうだか知らない)、まあ僕の場合はほぼ「墓場鬼太郎」の評価(というと大げさか)面白さにつきるのだが。

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 あとは、リメイク版の「白い巨塔」とか。

 そう、「白い巨塔」だ。フジテレビ開局45周年記念ドラマと銘打たれた本作は、作り手側の並々ならぬ本気度がうかがえた。まず何よりアイドルやらモデルあがりやらの、「もどき」が出演者に見当たらないことである。(なんじゃそりゃ)

 と書くと、田宮二朗版を持ち出してリメイク版(唐沢版)を物足りないとする人が出てきそうだが、唐沢版本放送より少し後くらいか、UHF局で田宮版をやっていたので、チラッとだけ見たが、いちいち眉間にしわを寄せる田宮二朗が、唐沢版を見た後では重すぎると感じたし、太地喜和子にいたっては、全然魅力的に思えなかった。

 本放送時に、黒木瞳の花森ケイ子は軽すぎるというような批判も目にしたと思うが、軽いからいいんじゃないか、あれは。少なくとも2003~2004年当時のテレビドラマとして、リメイクされた唐沢版「白い巨塔」は、「現代的」だったし、十二分に成功した良作ドラマだったと言えると思う。

 高畑淳子が役者仲間から、演技がわざとらしいと言われた、と言っていたが、(wikipedia大先生によると田宮版に出演した山本學氏(里見役)が役者の演技が大げさ過ぎると苦言を呈していたらしい)しかし、あれはあれで良かった。『大げさだ、わざとらしい』なるほど、確かにけれん味はたっぷりだった。

 伊武雅刀、西田敏行といったあたりとか。西田敏行は特にけれん味いっぱいで、ズラがズレてるネタは、まあ明らかにやり過ぎ、ズラシ過ぎ、あこまでズラすのは、もう漫画的な表現、もしくは舞台でならば、とは思うが、アップでも映るドラマという枠で見ると、やり過ぎ感はいなめない。

 が、そこだけ抜き出せば失笑か苦笑せずにはいられないとしても、全体を見てみれば、そういうシーンも許せるというか、全体の中の一部として説得力をもたされていたように思う。西田敏行が演じる財前又一は、財前五郎(唐沢)の義父で、教授選を有利に運ぶために打合せをする料亭シーンが劇中何度も登場する。中でもっとも印象深いのは、票獲得のために教授達に実弾(現金の賄賂)を配ろうと話し合うシーンだ。

 唐沢「しかし、受け取って頂けるのでしょうか?」

 西田「あほう。受け取らすんやないかい。ゴーン、と。ゴーン、と。」

 この「ゴーン」のところで、西田は、札束をつかんだ風にした右手を、唐沢の懐に入れる仕草をしてみせる。

 けれん味があるから良かった。と思うのである。山崎豊子原作の、すでに一度はドラマとして成功した前歴がある、しっかりした土台の上で枠組みの中で、それぞれ達者な役者達が、これでもかと、たっぷり演技してくれたから、面白かったのだと思う。 

 「サエコサーン、サエコサーン」とやけに甲高い声でさわぎまくる高畑淳子の演技はあれで楽しかった。佐枝子を演じた矢田亜希子は(なんであんなことなっちゃったかね。いや、芸能界入りする綺麗な若い女性が、えてしてヤンキー的な生態を持っているというのは今さら説明されなくても知っているわけだけど、それにしても……)「清純」だった。石坂浩二も役者やってたし、曽我廼家文童とか品川徹とか、舞台にキャリアがある役者もいい味を出していた。江口洋介は不器用に感じはしたが、だからこそ役に嵌まってたと思う。弁当屋の奥さんにしては妙に色気がある、かたせ莉乃とか、その夫役で誤診で死んじゃう田山涼成とか、その息子の(実際は中村雅俊の息子)中村俊太のどうしようもないピッタリな感じとか、数え上げたら、さらに行数が増えるから、これまでにするけど、とにかく魅力的だった。

 その上で唐沢寿明である。ともすれば、これだけ芸達者の脇役を集めると、主役はかすみがち、埋もれてしまいがちになるが、僕の記憶をたどれば、そんなことは決してなかった。終始、主役として、真ん中で輝いていた。

 遠い記憶をなんとかさかのぼろうとして僕が何を言いたいかというと、これで「唐沢寿明は化ける」「役者として何かもう一段階高いところへ登って、次の作品ではもっと素晴らしいものを見せてくれる」そういう風に信じさせてくれたのだ。

世界複製: 人類滅亡から一一八〇三日目

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  で、白い巨塔の興奮の余韻がまだ続いているような中で聞かされたのが、映画キャシャーンへの出演である。ぼかあ嫌な予感がしたよ。原作がアニメだと聞いて嫌な予感がしたよ。これは明らかに個人的な偏見だが、しかし、漫画の実写化、アニメの実写化と聞いて、嫌な予感がするのは、けっこう一般化された偏見だ。

 『いや、漫画原作の実写映画にもいいものはあるんだよ』と君は言うだろう。なるほど。『だいたいあなたはキャシャーン見てないでしょ?』 ええ見てないよ。見てないけど、予告映像見ただけで、ああ、これは駄目だ。これはこける。失敗する。というのは何となく予見できるんだ。(僕には予知能力がきっとあるんだね)ちなみに、キャシャーンの関係者の名誉のためにいっておくが、興行収入はビジネスとして黒字化になるほど稼いだそうです。

 でも、そういうことじゃないんだよ。だめだと(ほぼ)分かりきっている物を、だめだと確認するために映画館へ行くほど、僕は酔狂でもないし、お人好しでもないし、映画というもののマニアでもない。ただ、これで唐沢寿明の輝かしい未来のキャリアが……と不安になったんだ。唐沢が「原作の大ファンなんです」と言ってる時に、うーん、と首かしげて、首をちがえそうになったんだ。予告映像で唐沢寿明が

 

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『キャシャーンがやらねば誰がやる』

と高らかに宣言したときに、ビリビリ感じてたんだよ。いや、あんたがやらねばならないのはその役じゃないんじゃないかってね。キリヤ監督は映像のセンスはきっとあるんだろう。でも、映画は宇多田のPVとはやっぱ違ったんだよ。だいたい、あの頃の宇多田ヒカルを前面に出してプロモーションすりゃ、そこそこ客は入るよ。黒字だからって監督として褒められるもんじゃない。宇多田を落とした手腕を誇るならそれでいいけど。

 ま、とにかく、映画の評価はさんざんだった。それが嘘偽らざるところだ。

 正直映画の評価はどうでもいい。

 ただ、これによって、なんか唐沢寿明にまでケチがついてしまったということが残念だ。

 個人的な感想だが、そのあとの活躍は、なんかぱっとしない。キャリアとして物足りない。少なくとも白い巨塔を最高に楽しんだ人間としてはすごく残念だ。

 それは別にキャシャーンだけのせいではなくて、ここ数十年くらいずっと言われてるであろう邦画の低迷にも原因があると思う。もしも邦画黄金期に唐沢利明がいれば、また役所広司がいれば、どうだっただろう。少なくとも役所広司の代表作ってなんだろう? と悩まなくても良かったはずだ。あれだけうまい役者が。

 

 ちなみに、この記事のタイトルは、アニメ「シンプソンズ」の主役ホーマー・シンプソンのセリフ「ジム・キャリーのキャリアに傷を付けた○○を許さない」(○○に入る部分は、忘れた。マスク2だったかな。でもマスク2はジム・キャリーじゃないし、そういうギャグだったんだっけ? 忘れた)を文字ったんです。(え、どうでもいい?)

 

 つまり、僕が何を言いたいかっていうと

 

 所ジョージの声優としての輝かしいキャリア(アルフ、バズ・ライトイヤー)に傷をつけた、「ポニョ」のことは、絶対に許さない。 ってことだ。

 

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