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人類は如何に神々として滅びるか

『自己が無視されることを無視するという彼等の英雄主義』

最近なにかとAIが話題だから、きっとAIを素材にしたSF小説とかが増えるんだろう

 マイクロソフトのAIが「政治的正しさ」に真っ正面から喧嘩をふっかけ、その上陰謀論に荷担したり、アルファ碁が世界ランク2位の囲碁棋士相手に「なんで負けたのか理解不能」と囲碁棋士達に言わせる圧倒的な力を見せつけて勝ったり(正確には5戦して1-4)、ホーキング博士が「人工知能で人類終焉」を予言したり(ホーキングって人類終焉ネタが好きで、石原慎太郎が同席してるところでも、あと「100年」で人類が消滅する的なこと言ってるから、どうせあと100年そこいらしか保たないなら、ガンガン人工知能を進化させてしまえばいいような気もするが)、あと女子高生AIとか 

 とにかく、なんだか最近AI、AI、人工知能、人工知能って聞くことが多い。こんなのは個人的には、スピルバーグがその名もずばり『AI』っていうタイトルの映画を撮って、その宣伝・プロモーションのせいで、いやというほど、あのハーレージュエルロズモンドだがオズワルドだか忘れたけど、貧相な顔した天才子役とやらのアップを一万回も見させられた時以来だ。

 私はぜんぜんSFにくわしくないが(どれだけくわしくないかというと「SF者」とかいう「あの村」の中でだけ通じるらしいコードを、「エスエフシャ」って読むのかなとおもっていたくらいで、後年、どうやら「エスエフモノ」と読むらしいということに気づいた時も、どうでもいいと思ったくらい、SFにくわしくない)こんだけ世の中が、AI、AI言ってるんなら、たとえばSF小説家も、まったくAIを無視するわけにもいかんのじゃないかと思う。

 

 もちろん、そういう一般人レベルでも想像できる科学ネタを越えた、科学的理屈や、科学的思考、科学的ガジェットとよばれるようなものを提供してこそ、SF的に価値があるだろうというのは、なんとなく分かるが、「あの頃夢見たものが既に達成され、凌駕するものさえ生まれてしまっている現実」を前にして、どんな(娯楽)SFが可能だろうか?

 と考えてすぐに思いつくのがカズオ・イシグロの「わたしを離さないで」という小説で、日本でもそれなりに話題になったはずだが、私がその翻訳版の書評を見かけたときには、世間はips、ipsとさわいでいた。

 「わたしを離さないで」という小説では、臓器提供用に栽培された(?)クローン人間の少年少女が共同生活をしているらしい。

 クローン人間(笑)ips細胞でむちゃくちゃ盛り上がってるこの時期に、クローン人間による臓器提供が行われる近未来社会(笑)

 いくら小説としての出来が良かろうと(実際超有名作家が書いたものだから、技術的な高さは保証付きなのだろうが)読む気が起きない。(しかも、それからさらに数年した最近ドラマ化して見事に低視聴率をとった局があったと思うが、あれ綾瀬はるかは悪くないよね)

 

 その点、AIすなわち人工知能が、臓器提供クローンのように陳腐化する危険性は、近い将来的にはちょっと考えられない。なんらかの技術革新によって、今まで考えられてきた人工知能の概念がまったく別物のように人々からとらえ直される事態が起ころうとも、それが人工知能であることには違いない、コンピュータはますます賢く、速く、応用が効くようになり、人工知能を搭載したロボットは、今以上に世の中に受け容れられ、数をふやすことは確実だと思われるからだ。

 

 そうであるならば、要は書き方の問題だ。

 

 例えば、ある近未来地球では、人間の人口が激減していると同時に、ヒューマノイドに人権も認められている。なぜなら彼等は、人間よりも賢く思考し、人間と同じような感情を、人間よりも人間らしく再現してみせることができるのだから。

 二体のガイノイド(女性型ヒューマノイド)が、カフェで恋愛相談をしている。一体のガイノイドがあろうことか人間に恋をしてしまったというからだ。

「どうして人間なんかに興味をもったの冗談でしょ?」

「いいじゃない、人間だって私たちと同じ人権があるんだもの。単に性能に差があって、無機物と有機物ってだけの違いがあるだけで、私たちは同じ種に属しているんだし」

「そうだけど、だからって、わざわざ性能が劣っているものに恋しなくっても、優秀なアンドロイド(男性型ヒューマノイド)がたくさんいるでしょうに。人間と付き合ってるヒューマノイドなんて聞いたことないよ? あなた実際付き合ったとして、人間なんかとセックスする自分を想像できる?」

 なんて会話が自然に行われている未来とか。

 

 もしくは、技術や製品というものは、常に改良されていくものだから、型落ちのヒューマノイドというものも当然存在する近未来社会が想像できるはずだ。

 かつては最先端とされていたのに、まるで生身の、有機物の、人間と同じように、劣った存在とみなされ、不遇をかこつヒューマノイド。しかし、彼等にもまた「命」(であるかのようなもの)があると認定されており、「人権」が認められているので、そう簡単に「廃棄」されはしない。「人間らしく」もしくは「人間であるかのように」自らを、自らの手によって「廃棄」しない限りは。

 以前には、人工知能というからには、人間を模倣するという意識が根強く、人間らしさを表現するために、思考演算の課程にあえてバグ的要素を取りこみ、意識の飛躍や、偶然性といわれるものを達成しようとして造られたヒューマノイド達がいた。

 しかし、それらはより完璧で高速度の演算処理を行う最新型の「人工知能らしい」人工知能の発明によって、時代遅れの型落ちとされてしまった。皮肉なことに、その最新型ヒューマノイドに搭載されている人工知能を発明した者こそ、演算課程にバグ的要素を取りこんだ「人間らしい」ヒューマノイドだったのである。

 型落ちになったヒューマノイドのうち、ある一体は、自分たちがもつ「人間らしさ」「意識の飛躍」や「偶然性」というものの優秀さを再び証明するために、未来社会で大流行している知的なボードゲーム(モノポリー風でも、ディックのパーキーパット人形ゲームでも、チェスと碁を組み合わせて、将棋の持ち駒要素もくわえた「チェ碁ス」とかいう新ゲームでもいいけど)の研究を開始し、新戦術をひっさげて、最新型の「人工知能らしい」「ロボットらしい」ヒューマノイドに戦いを挑む。とか。

 

 いやーしかし、SF素人の私が考えた小説案なんて、すでに誰かが作品にしちゃっているでしょうね。

 

 

 

世界複製: 人類滅亡から一一八〇三日目

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