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人類は如何に神々として滅びるか

『自己が無視されることを無視するという彼等の英雄主義』

シャーロック・ホームズシリーズの語り手は?

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 と聞かれて

ワトスン!(君もしくは博士) 

  と答えられたあなたは合格です。合格ですが、満点はあげられない。

 

 ワトスン君以外の語り手は、はやくもシリーズ第一作の『緋色の研究』において、はっきりと姿を現している。この作品は二部構成をとっていて、第一部がワトスン博士の回想録、そして、第二部の「聖徒の国」第一章から第五章までは、いわゆる客観小説風の書き方になっている。つまり、物語外に存在する<何者かである>語り手が物語るのである。

 ちなみに第一部の時点で、探偵小説として読者の感興にうったえるような場面はほぼ書きつくされており、第二部では、事件の背景、犯人の動機といったものが長々と書き連ねられている。第二作目の『四つの署名」でも同じような構成といえる部分があり、事件自体がすっかり解決したあとで、事件の背景が読者に明かされる。

 これは少なくとも娯楽探偵小説としては、あまり成功しているとは言いがたい構成に思え、『緋色の研究』に反響がほとんどなく、作者ドイルを落胆させたのも致し方ないように思われる。

 

 シャーロック・ホームズシリーズが現在あつかわれているような「偉大な」シリーズたりえたのは、『ストランド』誌へ、主に短編として連載されたことが大きい。

 「主人公ホームズ」と、その推理と冒険に寄り添う、「語り手ワトスン」という図式は、この短編シリーズによって、熱狂的に迎え入れられることになる。

 ホームズとワトスンというのは、同宿人というだけでなく、ほとんどいつでも、まるで仲の良い夫婦ででもあるかのように一緒に行動しているが(ワトスンはホームズのために本業をそっちのけにしたり、もう一度一緒に住もうと誘われて医院を廃業までするのである)それは一部の特殊な趣味を持つ婦人方をよろこぼせようとしたわけではもちろんなく、「ワトスン君が、ホームズシリーズにとっての最良の語り手」だからなのである。

 もちろん、ホームズのみが体験した事件(もしくは事件の一部)を事後的にワトスンに伝え、それをワトスンが読者に物語るという設定は可能だし、そういう話や場面もシリーズ中存在はするが、おそらく読者は「(読者の分身でもある)ワトスン博士にホームズと同行してもらい、ワトスンが間近に見、感じたことを語ってもらいたい」と欲している。

 

 とはいえ、ストランド誌発表の短編の中にも、「ワトスン以外の語り手」は存在する。主人公シャーロック・ホームズその人である。『白面の兵士』『獅子の鬣(たてがみ)』の二作が該当する。この二作は、シリーズ最後の短編集『シャーロック・ホームズの事件簿』に収められている。

 また『事件簿』の中では、『マザリンの宝石』という短編において、必ずしも成功しなかったはずの、「物語外の語り手」による客観小説(俗に三人称小説)に再挑戦もしている。

 手元のシャーロック・ホームズ全集の解説によれば、当初は月に一冊ずつ連載していたが、『事件簿』の十二編を書き上げるのに六年ばかりかかっているということなので、作者ドイルは、ネタ切れか、マンネリズムか、飽きなのか、とにかく書くのに苦心していたには違いない。

 「語り手ホームズ」の小説において興味深いのは、作中、彼が「語り手ワトスン」を評して

自分で結論を出したり、これからの行動を予見したりするような男と行動をともにするのは、つねに危険であるが、事件の展開するごとに眼をみはるような男、さきのことは何一つ分らないような男こそは、じつに理想的な協力者というべきである。『白面の兵士』

 という箇所である。ホームズは、表面上、捜査の協力者について語っているけれども、ただ単に横にいて、つねに新鮮に驚くだけの男が、捜査に協力しているとは言いがたい。別にいてもいなくても天才ホームズの捜査に変わりはないはずである。この文章の数行前に

書くとなるとやはりできるだけ読者に興味を与えるようにしなければならないのに、いまさら気のついたことを告白せざるを得ないのである。 

 とこぼしていることからみて、『事件の展開するごとに眼をみはるような男、さきのことは何一つ分らないような男』というのは、『理想的な』語り手だと、ホームズを通して作者ドイルが告白していると解釈して、不自然ではないように思う。

 

 ここまで

ワトスン(物語内の主人公に最も近しい登場人物)

ホームズ(物語内の主人公である登場人物)

物語外の(何者かである、何者かとしか分からない)存在

 と三種類の語り手をあげたが、もう一種類の語り手の存在があげられる。

 それはすなわち『オデュッセイア』における、オデュッセウスにあたる語り手である。『オデュッセウス』全体における語り手は、詩人であるホメーロスだが、全二十四巻のうち、九巻から十二巻だけを抜き出してみれば、その部分は、オデュッセウスが語り手をつとめているとも言えるのである。

 同様にして、例えば、ワトスンが全体の語り手をつとめる『赤髪組合』において、依頼者のウィルスン氏が、ホームズ、ワトスンを前に、自分の身にふりかかった奇怪きわまりない体験を語るとき、ウィルソン氏は、文字通り「語り手」をつとめている。

 こういう、一場面を占有して語る、限定的な「語り手」は、なにも依頼者だけではない。『四つの署名』においては、犯人がこの限定的な「語り手」をつとめている。また、ワトスンが途中から事件の捜査に参加する場合、事件のあらましを伝えるホームズも、この限定的な「語り手」の役をしばしばつとめる。ホームズがワトスンと知り合う前の事件を昔話として語る場合は、限定的な「語り手」の語りが、短編の大部を占めもする。

 ここまでに紹介した、シャーロック・ホームズシリーズ中の「限定的な語り手」はいわば入れ子構造における、全体の(第一次の)語り手よりも一段階内部にある、第二次の語り手といえるわけだが、そのことがはっきりと分かる記述が、『スリー・コータの失踪』の中に存在する。

若いオヴァトンは、頭脳よりも筋肉のほうを使いなれている人間らしく、困惑の表情をうかべたが、だんだんに、一つことを何度も喋ったり、意味のはっきりしない言葉があったりしたけれど、それらは適当に整理するとして、だいたい次のような奇怪なる話をくりひろげたのである。 

  ワトスンによって『適当に整理』されたのは、このオヴァトンの話だけではないはずである。なぜなら、ワトスンはノートにとっておいた内容を、事後的に小説の形にして発表しているという設定なのだから。

 

 「限定的な語り手」たりうるということは、後年、シャーロック・ホームズがその任をしぶしぶ引き受けざるをえなかったように、全体の語り手、第一次の語り手にもなり得るということを意味する。

 つまり、依頼者が、探偵ホームズとその友人ワトスンを語る物語や、モリアーティ教授が語る、宿敵ホームズと助手ワトスンの物語も、可能ではあった。

 現在では、パロディや、パスティーシュとよばれるものでそれは可能であり、天才ドイルには及ばずとも、すでに存在する無数のパロディ、パスティーシュの中に、いくつか存在していることであろう。

 

(引用およびタイトルは、延原謙全譯「シャーロック・ホームズ全集」(新潮社)より)

 

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